仏師名

ふりがな

じょうけい

定 慶2「肥後定慶」

生年(西暦)

(1184)

歿年(西暦)

不詳( )

幼名

別名

生涯の業績

 鎌倉時代には、「定慶」という仏師が複数存在した。本項で取り上げる定慶は、奈良・興福寺東金堂の維摩居士像(国宝)を造ったことで知られる「定慶」とは別人であり、区別するために「肥後別当定慶」、「肥後定慶」などと呼ばれている。
 定慶の代表作として知られるものに、鞍馬寺(京都)の聖観音(しょうかんのん)像と、大報恩寺(京都)の六観音像6躯があり、鎌倉時代に流行した「宋風」の仏像の代表例として知られる。
 これらの像は、生身の女性を思わせる現実的な面相表現、細身の体型、複雑な髪型、煩雑で装飾的な衣文などに特色があり、日本の仏像彫刻史上、まれに見る個性の強い作風を示している。
 石龕寺(兵庫)の金剛力士像の銘記に、仁治3年(1242年)、59歳であったことが記されており、生年は逆算して元暦元年(1184年)ということになる。石龕寺金剛力士像の銘に「大仏師南方派肥後法橋」とあることから、奈良(南方)の仏師であることがわかり、横蔵寺(岐阜)金剛力士像の銘に「坪坂住大仏師法眼大和尚位」とあることから、晩年は壺阪(奈良県高市郡高取町)に住み、法眼の僧位を持っていたことが知られる。

私 の 想 

 興福寺を中心に活躍した定慶と違って、一世代後の定慶で「肥後定慶」と呼ばれ分けている。どうも、快慶の弟子のようであり、京都・大報恩寺にその足跡が残る。

作品

所蔵寺院

仏像名

制作年号(西暦)

京都・大報恩寺

聖観音立像

十一面観音立像

千手観音立像

准胝観音立像

馬頭観音立像

如意輪観音坐像

貞応三年(1224)

東京芸大

京都・鞍馬寺

毘沙門天立像

聖観音立像

貞応三年(1224)

嘉禄二年(1226)

兵庫・石龕寺

金剛力士立像(阿形)

金剛力士立像(吽形)

仁治三年(1242)

岐阜・横蔵寺

金剛力士立像(阿形)

金剛力士立像(吽形)

建長八年(1256)