仏師名

ふりがな

かいけい

快  慶

生年(西暦)

不詳( )

歿年(西暦)

不詳だが嘉禄三年(1227)を下限とする説あり。

幼名

運慶と並ぶ鎌倉時代の大仏師である。作品の数も多く残っている。

別名

生涯の業績

 快慶(かいけい、生没年未詳)は、鎌倉時代に活動した仏師。運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人である。この流派の仏師は多く名前に慶の字を用いるところから慶派と呼ばれる。
 快慶は安阿弥陀仏とも称し、その理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も多い。
 快慶の生没年や出自は明らかでない。史料上の初見は寿永二年(1183)の「運慶願経」である。「運慶願経」とは、仏師運慶が願主となって制作された法華経で、全8巻のうち巻一は亡失、巻二から巻七が京都・真正極楽寺蔵、巻八が個人蔵(ともに国宝)となっている。この巻八末尾の奥書に結縁者の一人として「快慶」の名が見える。
 現存する作品のうちもっとも古いものはボストン美術館蔵(旧興福寺)の弥勒菩薩立像で文治五年(1189)の作である。この作品には、理知的な表情、細身の体型、絵画的に処理された衣文など、快慶の特徴的な作風がすでに現れている。
 現存する2番目の作品である醍醐寺三宝院弥勒菩薩坐像(建久三年・1192)からは作品に「巧匠アン阿弥陀仏」(「安」は梵字)と銘記するようになる。快慶風の様式の仏像を「安阿弥様」というのはこれによる。
 この銘記は快慶が法橋の僧位に任じられる建仁三年(1203)まで続く。快慶は日本の中世以前の仏師の中では例外的に多くの作品に銘記を残している。自ら「巧匠」と名乗っていることとも合わせ、快慶は「作者」としての意識の強い仏師であったことがうかがわれる。また「アン阿弥陀仏」と称し、阿弥陀如来像を多数残していることから、熱心な阿弥陀信仰者であったことがわかる。
 快慶は運慶とともに、平重衡の兵火(治承四年・1180)で壊滅的な被害を受けた東大寺、興福寺など南都の大寺院の復興造仏事業にたずさわった。建久五年(1194)には東大寺中門の二天像のうち多聞天像を担当したが、これは現存しない。建仁三年(1203)には東大寺南大門の金剛力士(仁王)像の造営に運慶らとともに参加している。
 快慶は東大寺大仏再興の大勧進(総責任者)であった俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)と関係が深く、東大寺の僧形八幡神坐像、同寺俊乗堂阿弥陀如来立像など、重源関係の造像が多い。
 三重・新大仏寺の如来像(もと阿弥陀三尊像だが、江戸時代の土砂崩れで脇侍が失われ、本尊も体部が大破したため、頭部をもとに盧舎那仏坐像に改造)、兵庫・浄土寺の阿弥陀三尊像なども、重源が設置した東大寺別所の造像である。
 快慶の作品は、銘記や関係史料から真作と判明しているものだけで40件近く現存し、制作年が明らかなものも多い。また、東大寺、興福寺、醍醐寺のような大寺院だけでなく、由緒の明らかでない小寺院にも快慶の作品が残されている。
 快慶の没年は明らかでない。ただし、京都府城陽市・極楽寺の阿弥陀如来立像(快慶の弟子・行快の作)の胎内から発見された文書に嘉禄三年(1227)の年紀と、この時点で快慶が故人であったことが記されており、この年が快慶死去の下限となる。

私 の 想 い

 快慶作の仏像もたくさん拝観致しました。いつも最初に私が関心を以っていることは、面相がどうであるかということである。
 全体的に、四角張った面相の像である。このことが私の中で、快慶作を納得する条件の一つになっている。

作品

所蔵寺院

仏像名

制作年号(西暦)

ボストン美術館

(旧興福寺所蔵)

弥勒菩薩立像

文治五年(1189)

京都・松尾寺(舞鶴市)

奈良・西方寺

阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来立像

京都・醍醐寺

京都・遣迎院

滋賀・石山寺(大津市)

弥勒菩薩坐像

阿弥陀如来立像

大日如来坐像

建久三年(1192)

建久五年(1194)

建久五年(1194)

大阪・八葉蓮華寺

奈良・安養寺(田原本町)

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

兵庫・浄土寺





和歌山・遍照光院(高野町)

阿弥陀如来立像

聖観音立像

勢至菩薩立像

阿弥陀如来立

建久六 - 八年(1195-1197)




建久九年(1198)

栃木・真教寺(足利市)

バーク・コレクション
(ニューヨーク)

阿弥陀如来立像

地蔵菩薩立像

京都・如意寺(宮津市)

東京芸術大学

地蔵菩薩坐像

大日如来坐像

和歌山・金剛峰寺大仏殿







京都・金剛院(舞鶴市)

増長天(寺伝 持国天)立像

持国天(寺伝 増長天)立像

広目天立像

多聞天立像

執金剛神立像

深沙大将立像

和歌山・金剛峰寺大仏殿

広島・耕三寺

兵庫・浄土寺

孔雀明王像

阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来立像(裸形像)

菩薩面

正治二年(1200)

建仁元年(1201)

建仁元年(1201)

奈良・東大寺公慶堂

三重・新大仏寺

僧形八幡神坐像

慮舎那仏坐像

建仁元年(1201)

建仁二年(1202)

奈良・東大寺南大門



奈良・東大寺俊乗堂

京都・醍醐寺三宝院

金剛力士立像(阿形)

金剛力士立像(吽形)

阿弥陀来立像

不動明王坐像

建仁三年(1203)



建仁三年(1203)

建仁三年(1203)

奈良・安倍文殊院

文殊菩薩騎獅像

善財童子立像

優塡王立像

唯摩居士立像

須菩提立像

建仁三年(1203)

奈良・東大寺公慶堂

藤田美術館(大阪市)

大行寺
(
京都市、佛光寺塔頭)

岡山・東寿院(瀬戸内市)

地蔵菩薩立像

地蔵菩薩立像

阿弥陀如来立像


阿弥陀如来立像






建暦元年(1211)

滋賀・圓常寺(彦根市)

大阪・大圓寺(住吉区)

米・キンベル美術館
(フォート・ワース)

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

釈迦如来立像

奈良・西方院
(唐招提寺子院)

京都・大報恩寺

阿弥陀如来立像


優婆離立像

羅睺羅立像

阿難陀立像




承久二年(1220)

随心院(京都市)

奈良・光林寺(川西町)

金剛薩埵坐像

阿弥陀如来立像



承久三年(1221)

和歌山・光台院

阿弥陀如来立像

聖観音立像

勢至菩薩立像

承久三年(1221)