仏像名

せんじゅかんのりゅうぞう

蓮華王院
制作年代

    重文
鎌倉時代

千手観音立像(40)

様 式

建長三年(1251)
建長八年(1256)

俗称又
は愛称

製作材質

木造、玉眼
漆箔

樹 種

像 高

165〜
168cm

製作者

湛慶作

安置場所

三十三間堂

開扉期間

解 説

 妙法院の管理する蓮華王院本堂いわゆる三十三間堂内陣には南北脇壇に各500、中尊千手観音坐像の背後に1、計1001躯の千手観音立像を安置する。この像は慶長元年の火災の後に補作された鎌倉再興像の1躯。作者湛慶は運慶長子。再興造像の大仏師である。
東京国立博物館 平常陳列 2010年冬期 解説より

私 の 想

鎌倉時代の製作は、幾つものグループに発注する形であり、それぞれのグループが競争する。形を決められた中での製作で、苦労もあったことだろう。この力が風神、雷神の姿に代表される力強さに繋がっている。
 平成21年10月に京都・滋賀「仏像観て歩き」・副題「千手観音と十一面観音を訪ねる」で訪問しました。
 造像の総責任者の湛慶は、規格の決められた千手観音と規格の緩やかな二十八部衆を併せて、制作グループに発注することで制作意欲を掻き立てて居たのではないかと、想像するのである。姿形に変化の乏しい千手観音像に対して、ある程度の自由さの許された二十八部衆である。
 その規制と規制から解き放たれた自由な開放感から、二十八部衆が活き活きとした群像に仕上がった出来栄えではないかと思います。
 湛慶はここでも、八体の千手観音立像を制作しています。展示は横一列に並べ、五体と三体の空席になっています。三体の空席は、東京国立博物館に行って常設展示されています。
 平成23年2月第四十二回「仏像観て歩き」の東京国立博物館で拝観した時には、次のように書いている。
 湛慶は慶派仏師集団の本家の三代目である。世の中では、よく三代目で駄目になるという。しかし、この三代目の湛慶は、奈良出身にも関らず、都の京都仏師を抑えて、再興の総責任者として、1001躯の再興事業を成し遂げたのでした。本人も、中尊のみならず、立像も8躯も収めている。その内の3躯が東京国立博物館に来ている。
 地元出身でない彼が、幾つもの仏師集団や工房を纏めた手腕に敬服します。技量だけでなく、人間的にも、多くの仏師から信頼されていたのでしょう。