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仏像名で寺を探す | ||
仏像観て歩き 大阪編 |
名称 | ふりがな | してんのうじ | 俗称又は愛称 | ||||||
四天王寺 | |||||||||
所在地 | 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 | 最寄駅 | JR関西線 | ||||||
天王寺駅 | |||||||||
開祖 | 開山・聖徳太子 | ||||||||
沿革 | |||||||||
四天王寺は今から1400年以前、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立された日本仏法 | |||||||||
最初の官寺である。太子が当寺を創建されるに当っては、敬田、悲田、施薬、療病の四箇 | |||||||||
院を構え、以って鎮護国家の道場として、また済世利民の実践所として物心両面の救済に | |||||||||
より、平和国家の樹立と文化国家の荘厳を果たされ、その意味で当寺が政治外交上の中枢 | |||||||||
となったのみならず美術工芸産業あらゆる方面に於いて日本文化の発生地となったのであ | |||||||||
る。 | |||||||||
それ以後、当寺は太子の偉業をついで、教学伝道等本来の使命達成はもとより、社会教 | |||||||||
育、福祉事業、仏教の興隆等の充実につくして現在に至っている。 | |||||||||
「四天王寺縁起より」 | |||||||||
私の想い | |||||||||
大阪に住んだのは、昭和45年2月からであった。その年の3月から千里丘陵で大阪万 | |||||||||
博が開催された。大阪は万博景気で沸いていた。そんな事で脱サラをして、ビルの清掃会 | |||||||||
社を作るつもりで、清掃会社の下請け見習となる。 | |||||||||
昼間はビルの清掃でビルの清掃と管理業務をして、夜間は、当時出来て間も無い阿倍野 | |||||||||
地下センターの入口階段の清掃である。まず、階段の上からホースで水を打って、次に洗 | |||||||||
剤を打ち、デッキブラシで階段を擦って行く。ブラシが終わると上からホースで洗い流し | |||||||||
て行くのである。最後に水切りで階段に残った水を切って終了である。 | |||||||||
阿倍野地下センターに入って来る階段が何個有ったかは忘れたが、それを次々洗って行 | |||||||||
く。浮浪者が中に入らないように、午前1時にはシャッターを下ろしてしまう。それまで | |||||||||
に終了しなければならない。 | |||||||||
最後の階段洗いの仕事は相当な体力が必要であったが、若い当時は張り切って仕事をや | |||||||||
っていた。階段のシャッターが閉まると、そのすぐ外側はまだ、雨風をしのげる空間があ | |||||||||
る。シャッターが閉まってから開くまでの間が、浮浪者に取っての一刻の休息の場所にな | |||||||||
る。洗っている間にやって来て、終了するのを待っている事もある。毎晩の事で顔見知り | |||||||||
になり、挨拶をするまでになった人も居た。シャターが開いたら今度は地下街に入れば、 | |||||||||
雨の心配は無い。そう言う意味では、浮浪者に取っては、雨との戦いと言って好い。 | |||||||||
そんな阿倍野地下センターに35年振りに入った。柱はステンレス張りからタイル張り | |||||||||
に変わっておりました。懐かしさと今日の私を育ててくれた感謝の気持ちが、一緒になっ | |||||||||
て、思わずタイルの柱に手をやり、柱に話し掛ける。 | |||||||||
この阿倍野地下センターを抜けて、地上に出て谷町筋を北に上ると、右側に四天王寺は | |||||||||
はある。35年前は夜の夜中にしか、天王寺に行かないので、天王寺駅と四天王寺がこん | |||||||||
なに近いとは思っていなかった。 | |||||||||
四天王寺式伽藍配置で有名であり、一度は行かねばと思いつつ、今日まで来ないで居た | |||||||||
のである。四天王寺の伽藍配置も特徴的である。 | |||||||||
例によって、体の部位に例えて位置関係を説明します。仰向けに頭を南に向け、足を北 | |||||||||
に向けて寝る。頭が南大門、食道が中門の位置、両肩、両腕が回廊、胃が五重塔の位置、 | |||||||||
更に下に腸の位置に金堂、更に下に、膀胱の位置に講堂である。つまり、配列が南北に縦 | |||||||||
一列に並んでいる。一番シンプルな形式で、四天王寺式伽藍配置という。 | |||||||||
大阪にこれまでに2回住んで都合5年になるが、一度も訪れた事がない。どうも私は、 | |||||||||
聖徳太子のゆかりの地とか、ゆかりの寺というのが好きになれずに縁遠くなっている。こ | |||||||||
の四天王寺、法隆寺がその中に入っている。 | |||||||||
月曜日は宝物館が休館という。仕方なく伽藍配置を仁王門、五重塔、金堂、講堂と内陣 | |||||||||
を観て回る。五重塔内は、四方毎に如来を絵画で紹介している。 | |||||||||
金堂では3人の僧侶による護摩供養が始まっていた。中央の僧侶が護摩札を一枚づつ線 | |||||||||
香にかざす。一人の僧侶が木魚をリズミカルに叩きこれに合せてお経が唱えられて行く。 | |||||||||
新しい護摩札が追加され、それをかざす。 |
四天王寺画像一覧 | 四天王寺の画像が楽しめます。 |
仏像名 | ふりがな | やくしにょらいざぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
薬師如来坐像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 漆箔 | ||||||||
像高 | 145cm | 製作者 | 安置場所 | ||||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
和歌山・明王院の旧蔵 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | あみだにょらいざぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
阿弥陀如来坐像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 漆箔 | ||||||||
像高 | 138cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
和歌山・明王院の旧蔵 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | あみだにょらいざぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
阿弥陀如来坐像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 素地 | ||||||||
像高 | 49cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | しょうかんのんりゅうぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
聖観音立像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 彩色 | ||||||||
像高 | 58cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | せいしぼさつりゅうぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
勢至菩薩立像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 彩色 | ||||||||
像高 | 56cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | せいしぼさつりゅうぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
毘沙門天立像 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 彩色 | ||||||||
像高 | 105cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
恵日寺旧蔵 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | せんじゅかんのん・にてんがん | 四天王寺 | 重文 | |||||
千手観音・二天龕 | 製作年代 | 平安時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 木造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 素地 | ||||||||
像高 | 12cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
私の想い |
仏像名 | ふりがな | かんのんぼさつはんかぞう | 四天王寺 | 重文 | |||||
観音菩薩半跏像 | 製作年代 | 飛鳥時代 | |||||||
様式 | |||||||||
俗称 | 製作材質 | 銅造 | 樹種 | ||||||
愛称 | 鍍金 | ||||||||
像高 | 13cm | 製作者 | 安置場所 | 宝物館 | |||||
開扉期間 | |||||||||
解説 | |||||||||
私の想い |
お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。
1. 仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2. 絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3. それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。
4. ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5. 「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6. 像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7. 掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。
8. 一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9. 一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。 以上