古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編2

名  称

ふりがな

じゅうりんいん

十輪院

俗称又は愛称

奈良市十輪院町27

最寄

開  祖

沿  革

 十輪院は猿沢の池の東側を南へ約200m十輪院町にあり、今を距る壱千二百余年の霊亀元年吉備大臣の長男朝野の宿弥魚養の建立にして、南都七大寺元興寺の奥の院と称せられ弘二年中に弘法大師留錫して、真言宗となった。
 地蔵菩薩を本尊として十輪院の名がある永く院領五百石を賜い境内東西三丁、南北弐丁を有せしが天正十三年豊臣秀長公これを没収し、堂宇頽廃せしが徳川家康公慶長七年釆地五十石の御朱印を賜う。昭和三十年本堂、南門等解体修理完成す。
「十輪院縁起」より

私 の 想 

 この寺も元の元興寺の一院であった。従って、奈良時代の元興寺の大きさが如何に大きかったかが判る。東大寺、興福寺、更に南に元興寺、東に新薬師寺と奈良市内の東半分はこの四つの寺で締められる。
 東大寺、興福寺、新薬師寺の三つは、境内やその他寺領は小さくなったものの、名前も土地も当時のままなのに対して、元興寺だけが小さく分割されてしまった。今の分割された土地が、当時から住居地域だったのでは無いかと思う。
 素人の勝手な推測だが、今でも元興寺のある地域が、狭く細い道に軒を連ねて家が建ち並び、自動車一台がやっと通れる程の道であり、下町である。当時から庶民の暮らす、ごちゃ、ごちゃした居住区だったに違いない。
 いろいろな人間が永い間に出入りを繰返すうちに分割がされたのではないかと思う。それにしても、極楽坊、元興寺、十輪院と巡ると、この一帯の密集度に驚く。
 さて、十輪院は石仏の地蔵菩薩が本尊で珍しい。石仏龕に納められた石仏のお地蔵さんは頬の長い面相が印象的である。
 また、多くのお寺が拝観するのに、簡単に靴を履いたまま拝観するのに、靴を脱いで本堂の青い畳の上から、石仏のお地蔵さんを観るのである。
 青い畳の上からの拝観は、厄介の様であっても、私には一層心が洗われ、落着いた気持で拝観出来てうれしい。
 本堂が鎌倉初期の建築で、寄せ棟造りの住宅風な建物で、お寺に居る感じではなく、どこでかの旧家にお邪魔している感じである。大変すばらしい。

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