古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編4

名  称

やまだでらあと

山田寺跡

俗称又は愛称

奈良県桜井市山田1258

最寄駅

開  祖

沿  革

 雷の丘から左に天の香具山、右に石神遺跡が眠る田畑を見ながら15分ほど歩くと、飛鳥資料館の近くに山田寺跡があります。蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の創建。
 大化改新(645)の時、中大兄皇子のもと蘇我入鹿殺害の重要な役割をはたした石川麻呂は、新政府で右大臣となります。しかし大化5年(649)3月に左大臣 阿部内摩呂大臣(あべのうちまろのおほおみ)が亡くなった、その1週間後、こんどは右大臣の石川麻呂大臣 謀反の疑いを受け、妻子ほか8人とともに建設中の山田寺仏殿において自殺しました。後に疑いは晴れ、工事は再開されましたが、完成したのは着工以来 実に45年の月日がたっていました。
 その後、文治三年(1187)、興福寺の僧兵によって焼き払われ、この時奪われた本尊が、今、奈良の興福寺国宝館に安置されている仏頭だといわれています。
 発掘調査によって、塔と金堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置が明らかになり、さらに昭和57年暮れ、回廊の一部が倒れたままの完全な姿で発見され、エンタシスの柱や連子窓など創建時の姿をしのばせる貴重な資料として、いちやく注目を浴びました。
 世界最古といわれる法隆寺よりも半世紀もさかのぼる木造建築物だったからです。
「グーグル マップ」より 2010年

私 の 想 い

 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 室生寺から次の訪問寺院を大官大寺跡と決めて走っていました。道端の標識に大官大寺ではなく山田寺跡が出ていた。大官大寺跡も山田寺跡も二度の大阪時代に行けなかった所で、いつも気になっていた所でした。そこで、今回は山田寺跡に行くことにして訪ねた。
 発掘調査の後を埋め戻して、公園になっている。

山田寺跡画像一覧その1
山田寺跡画像一覧その2
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これをクリックすると山田寺跡の写真が楽しめます。
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