名  称

じょうらくいん(たかやまふどう)

常楽院(高山不動)

俗称又は愛称

高山不動尊ともいう。

埼玉県飯能市大字高山

最寄駅

開  祖

沿  革

私 の 想 い

 国道299号線から右の方に入って行くのであるが、当日は送迎のマイクロバス運行の為に、直接高山不動への道は、通行禁止となっておりました。迂回路の案内があり、大きく右に回る道で登って行く。小一時間掛かって高山不動入り口に着いた。急な坂を下りて駐車場に車を入れる。ところが、駐車場から高山不動本坊、不動堂、収蔵庫へは、急な石段を昇る羽目になる。多分、高山不動入り口近くの、上の駐車場に車を止めれば、収蔵庫も不動堂もそれほど下がらなくても良かったのだろう。ところが下の駐車場に止めたので、その分昇らなければならなくなる。こんな山奥に寺を建てるというエネルギーに敬服する。
 樹齢八百年とか云う大銀杏が途中の階段の脇で迎えてくれる。脇の二の腕から雫が垂れているかの如く、樹液の塊が垂れ下がる。更に凄いのは、その垂れ下がった塊から芽が出て枝を伸ばしていることです。樹齢からして鶴岡八幡宮の石段脇の倒れた大銀杏と同級生ではないでしょうか。移した根元から芽が出たとかが、ニュースになった。こちらの大銀杏からも生命力を頂きたいものと触って来た。急な崖に在って生育環境的には、厳しいところにある。しかし、そのことが返って、人間社会から邪魔にされず生き延びたことに繋がっている。樹木に取って一番の天敵は人間である。大木が残るのも神社仏閣のご神木か、それに近いところに在る樹木だけが残っているようである。都会では工事の邪魔だということだけで、次々に犠牲になってしまっている。後からやってきて、倒れたら危険という理由で伐られる。後から来たのは人間である。

地蔵堂

 大銀杏のあるところから更に急な長い石段を登ると不動堂がある。無住の寺になってしまって、地域の人々の応援でこの御開帳も行われている。地蔵堂に入るとここには軍茶利明王像は無さそうである。応援の人に聞くと収蔵庫が上にあるという。地蔵堂の裏手に回ると、またまた長い急な石段がある。昨夜の雨で石段も濡れて滑り易い。真ん中の手すりに掴まりながら登る。

奥の院
 高山不動入り口という看板が出ているところまで車で戻ると、道の脇に関八州見晴台への山道の道標が立っている。車を広いところに止めて登りだす。革靴で滑り易い。しばらく登ると何と車の通れる広い道に出る。その道を少し歩くとまた、山道に入る。30分も登ると、見晴台に着いた。関東平野の赤城山の方向、筑波山の方向、反対側は、武甲山、両神山、そして、富士山も見える。滑り易い山道を革靴で登る無謀な中にも登って良かった。見晴台の中央に奥の院のお堂がありました。


常楽院(高山不動尊)画像一覧その1
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常楽院(高山不動尊)画像一覧その4
常楽院(高山不動尊)大銀杏画像一覧
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常楽院所蔵仏像
軍茶利明王立像
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