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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 東北編

名  称

ふりがな

ちゅうそんじ

中尊寺

俗称又は愛称

岩手県西磐井郡平泉町字衣関202

最寄駅

JR東北線
平泉駅

開  祖

沿  革

 関山中尊寺。黄金の光に包まれた阿弥陀堂・金色堂で名高いこの寺は、平安時代後期、奥州藤原氏清衡によって、みちのく平泉に再興された古刹だ。
 嘉祥三年(850)、慈覚大師円仁により開山。天台宗の東北大本山であり、現在、山内に本坊と17か院の支院を合わせもつ一山寺院である。
 中尊寺の参道は、関山の麓、月見坂から始まる。樹齢300年を数える杉木立に覆われて、昼なお暗い。金色堂をめざして月見坂を進む。杉並木が途切れた先に東物見がある。
 眼下に光る一筋の流れは、衣川である。この川の北岸は、かつて朝廷の支配が及ばぬ辺地と見なされて来た。参道を登りきると、そこにはコンクリートの覆い堂に守られて、国宝建造物第1号の金色堂が佇んでいる。
 後三年合戦ののち、みちのくの覇者となった清衡は、この川を越え、豊田館(岩手県奥州市)から平泉へと居館を移し、中尊寺建立に取り掛かる。
 清衡の領土は、福島県の白河の関から青森の外ヶ浜にまで及び、東北のほとんどを掌握していた。当時、みちのくは日本で唯一の金の産地であった。黄金がもたらす莫大な富が北方や大陸との交易を可能にし、京の都に勝るとも劣らない、都市文化の花を咲かせたのだ。
 清衡が中尊寺建立に着手したのは、長治二年(1105)、50歳の年だ。清衡はまず多宝寺を建立している。その本尊である多宝如来とは、「法華経の真理を説く」といわれる仏である。中尊寺の建つ関山は、治める領土のほぼ中央に位置していた。すなわちそれは、仏の英知と慈悲によって、みちのくを平安な国へと、導きたいと願う、清衡の声明を意味する。
 それは同時に、清衡が辺境蛮地の一豪族ではなく、都人と同様、あるいはそれ以上に仏教を篤く信仰し、理解する人物なることを天下に知らしめたのである。平安時代の国家建設には、仏教は政治手段として欠かせない存在だったのだ。
「古寺を巡る 中尊寺」より 小学館 2007年

私 の 想 い

 中尊寺を初めて訪ねたのは、昭和30年代の終わり頃であった。高校で習った松尾芭蕉の「奥の細道」の一節が妙に頭に残っていた。
「三代の栄耀、一睡のうちにして・・・・」
とか、
「秀衡が跡は、金鶏山のみ形を残す・・・」
とか、
「衣川は高館を巡りて大河に落ちる・・・」
が頭にある。実際に確かめて、この目で見たいと思って訪れた。
 その当時の記録がないので、記憶では高館で衣川と北上川が合流したであろうことを確認出来たと納得している。
 それに当時はまだ、三代のミイラは発見される以前であった。

中尊寺画像一覧その1
中尊寺画像一覧その2
中尊寺画像一覧その3
中尊寺画像一覧その4
中尊寺花華一覧その1
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中尊寺所蔵仏像
金色堂
中央壇(清衡)
阿弥陀如来坐像1 聖観音立像1 勢至菩薩立像1
持国天立像1 増長天立像1
地蔵菩薩立像1 地蔵菩薩立像2 地蔵菩薩立像3
地蔵菩薩立像4 地蔵菩薩立像5 地蔵菩薩立像6
西南壇(基衡)
阿弥陀如来坐像2 聖観音立像2 勢至菩薩立像2
持国天立像2
地蔵菩薩立像7 地蔵菩薩立像8 地蔵菩薩立像9
地蔵菩薩立像10 地蔵菩薩立像11 地蔵菩薩立像12
西北壇(秀衡)
阿弥陀如来坐像3 聖観音立像3 勢至菩薩立像3
持国天立像3 増長天立像3
地蔵菩薩立像13 地蔵菩薩立像14 地蔵菩薩立像15
地蔵菩薩立像16 地蔵菩薩立像17 地蔵菩薩立像18
その他のお堂
阿弥陀如来坐像
薬師如来坐像1
薬師如来坐像2
大日如来坐像1
大日如来坐像2
千手観音立像
渡海文殊菩薩騎獅像
一字金輪仏坐像


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