仏像名 |
しゃかにょらいぞう |
深大寺 制作年代 |
重文 飛鳥〜奈良時代 |
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釈迦如来像 |
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様 式 |
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俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
銅造 |
樹 種 |
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像 高 |
60cm |
製作者 |
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安置場所 |
釈迦堂 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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都内屈指の古刹、深大寺に伝わる七世紀の如来倚像。頭髪部は平彫りで螺髪をあらわさず、右手は施無畏印、左手は膝上に拳を仰向けて置き、膝を大きく開いて方形の台座上に倚坐する。衲衣は左肩に懸かり、右肩から右肘を覆う特徴的な着方で、中国では五世紀頃から現れ流行した形式である。衲衣の下には裳を着ける。制作技法は蝋型鋳造で本体すべて一鋳とする。かつて火中したらしく、鍍金痕がごくわずかに残る。像内は像底から頭部に至るまで大きく空洞となり、銅厚はほぼ均一で、各所に土型持を嵌金で塞いだ痕が残る。 頬が丸く張り眉が弧を描いて鼻梁に通じる若々しい面相は、天武天皇十四年(685)供養の銅造仏頭(興福寺東金堂旧本尊)に通じ、像内の土型持痕も同像のものと類似する。流麗な衣文やなだらかに起伏した体躯は新薬師寺の旧薬師如来立像(香薬師、現在は所在不明)に近く、とくに肉髻・地髪部に粗い鑿目を残す点、髪際の正面にゆるくカーブさせる点、両瞼の間に線状の鎬を水平にあらわす点など、細部にいたるまできわめてよくにたており、本像の制作年代は香薬師像と同時期の七世紀末葉とみられる。 千葉・龍角寺薬師如来坐像頭部と並ぶ関東伝来の白鳳仏の貴重な一例であるが、洗練された作風と手慣れた技法からみて、本像は中央でつくられ当地へもたされたと考えられよう。 「国宝 興福寺仏頭展」より 2013年 台座に腰掛けた倚像の仏はいかめしさがなく親しみやすい。半眼の細長い目、くっきりした眉と鼻筋、柔らかな唇は少年の顔立ちだ。深大寺の銅造釈迦如来倚像は関東にある白鳳時代(7世紀後半)の仏像の白眉。仏教が日本に伝来して百数十年、若々しい時代の息が伝わってくる。 釈迦像を安置した釈迦堂は元三大師堂など境内のお堂の参拝コースにある。元三大師は平安時代の比叡山中興の祖良源の通称で、魔よけの護符になるほど庶民の信仰を集めた。深大寺は元三大師信仰にあつく、厄よけなどを祈願する参拝者が多い。鉄筋コンクリートの釈迦堂は正面の戸が開けてあり、無料でガラス越しに釈迦像を拝観できる。ただ、光が反射して見えにくいところがあるのが残念だ。 釈迦像は銅で鋳造し、鍍金(金めっき)した金銅仏。金の輝きは失われたが、薄い衣を通して腹部の起伏が伝わる写実的な表現が新鮮だ。衣文線が上半身の斜めに、腰から脚部でU字形に刻まれ、簡素で流麗、変化に富む。 飛鳥、白鳳時代は金銅仏が盛んに造られた。中でも白鳳仏には童子を思わせるあどけない顔立ちと容姿の、像高20〜50cmの小金銅仏が多い。深大寺釈迦像はやや大きいが、「童顔童形」と呼ばれるこのタイプの進んだ形とされ、奈良・法隆寺の夢違観音や新薬師寺に伝わった香薬師(銅造薬師如来)などと並んで小金銅仏の完成作と評される。 香薬師は1943年に盗まれ今も行方不明だ。少年のような表情、衣文の流麗な弧線が深大寺像とよく似ている。両像を見た文芸評論家の亀井勝一郎は、「兄妹仏」と例えている。今は写真でしかわからない香薬師の典雅な姿が深大寺像から想像できるのは、白鳳仏ファンの救いである。 釈迦像は1909年、元三大師堂の檀の下から見つかった。深大寺に伝わった経緯は不明だ。同寺の創建は奈良時代とされるが釈迦像はもっと古い。白鳳仏には来歴不明の像が珍しくない。寺院の建立が急激に地方に及び、仏像が多数造られたというこの時代特有の背景のためだろう。謎が多いのも白鳳仏の魅力だ。 「探訪 古き仏たち」より 朝日新聞 2014.03.08. |
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私
の 想 い |
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裳を岩か、台に掛け、その上に腰を掛ける。その姿を倚像というのだそうである。椅子に腰掛けた姿である。木偏でなく、人偏であるのもの不思議である。いずれにしても、珍しい姿である。 平成22年10月に「埼玉県立歴史と民族の博物館」で拝観することが出来ました。 右手は施無畏印である。中指と薬指の頭が欠けている。左手は左膝頭に手の甲を着け、手の平を上に向けている。中指と薬指を内側に曲げている。この内側に曲げた二本指の中に薬壷を入れれば、薬師如来になる。薬壷が無いので釈迦如来とされている。失ってしまったかも知れない。 倚像といい椅子に腰掛けた姿である。裳掛け座に座る。垂れ下がる裳が椅子の存在を示している。膝を肩幅に広げて座る。 平成25年9月に東京芸術大学美術館で開催された「国宝 興福寺仏頭展」に出品された時に拝観しました。 肉髻と呼ばれる盛り上がりも、丸いお供え餅の最上段の様に盛り上げて頭上にある。下の部分は髪となるのだが、鎚や工具による打突痕の凸凹を着け、お顔の部分との区別は、段差を付ける事と滑らかな皮膚感を出している事である。 大きなお耳がお顔を挟むように両方に着け、鼻の頭から段差を付けて両方向に円く分けて眉を形取り、その下に間を空けて、真横に水平に三筋付け眼を形付ける。鼻は副鼻を小さく盛り上げ水平に切り鼻を形付け、富士山様に上唇を造り上げている。山頂の二筋が鼻の穴に消える。その下に小さく下唇が受ける。 平成29年4月に東京国立博物館で「平成29年新指定国宝・重要文化財」の展覧会が開催されました。この展覧会と三井記念美術館で開催中の「西大寺展」を併せて、「仏像観て歩き」100回記念大会として、二つを拝観しました。 東京国立博物館では、平常展の扱いで、十一号室で新指定の仏像が紹介されていました。十一号室の入口正面に、こちら向きに座っております。寺では、前の仕切り版に遮られ、仕切り版に反射する光で、細かなところが良く判らないもどかしさを感じていたが、今日は何処までも360度拝観する事が出来る。 正面の姿は、
偏袒右肩の如来の姿をしており、椅子に坐す。右肩の襟は首から右肘に架けて肩を外し、袖を通した左肩は、三本、四本と左肩から右太腿に衣文線は流れ落ち、消える。 膝から太腿に広がる衣文線は幾筋も平行に広がる。膝下から向う脛を垂れ下がる衣文線は、さざ波が寄せるように足元に消える。椅子前に広がる衣文線は、幾重にも重なり、裳懸け座を形造ります。 後ろ姿は、上部は同心に、下に行くに従い衣文線は右に流れ落ちる。裳架け座の裳を敷き詰める感じで敷き座る。 |
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