古寺巡礼 トップページに戻る。
仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 会津編

名  称

ふりがな

えりゅうじ

恵隆寺

俗称又は愛称

立木観音と呼ばれている。

福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944

最寄駅

開  祖

沿  革

 近くに塔寺立木観音堂(恵隆寺)がある。本堂は鎌倉時代の和様建築。本尊の千手観音は7.5mの巨像。立木を彫ったといわれにふさわしく簡素な彫刻である。
 今は会津坂下町西部の塔寺にあるが、寺伝によれば、六世紀半ば、ここより北西2kmの高寺山の頂に、中国梁の青岩が庵を結んで高寺と呼ばれたと言う。その後、幾多の変遷をへて、建久元年(1190)に現在地に移され、寺名も金塔山恵隆寺と改め再出発した。
 別に、大同二年(807)に会津入りした徳一によって、再建されたのではないかという説もある。とすれば、会津では、西に坂下の恵隆寺、東に磐梯山の恵日寺、そしてその中央に湯川村の勝常寺と、徳一の開いた古刹がほぼ一直線に並ぶ。何を意味するだろうか。今は三寺とも真言宗の寺である。
 本尊は千手観音像である。「立木観音」の名で広く知られている。一本の立木から刻まれた像としては、日本最大の木彫像である。大きく豊かだが、ただ、あまりにも背が高く真下から仰いでも顔がわからない。むしろ正面右の太い「抱きつき柱」に抱きついて、斜めから見上げるのがよい。観音様の目を見つめて願いごとを称えるのだそうだ。
 観音像の左右には、二十八部衆と風神・雷神の群像が、重なり合うようにして観音を守っている。彩色の剥落はあるが、京都・三十三間堂とはまた違った素朴な味わいがある。
 本堂の観音堂は、巨大な立木観音と、三十体の群像を祀るにふさわしく、堂々としている。
 観音堂の周辺には驚くほどの大木がそびえているが、西側にすっくと立つ大杉は、春日八郎のヒット曲「別れの一本杉」の舞台といわれる。寺の南2kmの所に歌碑がある。
「古寺をゆく 勝常寺と会津の古刹」より 小学館 2001年

私 の 想 い

 立木にそのまま千手観音を彫ってしまおうというのである。乱暴な話であるが、上手く枯れた立木があれば良いが、生木では、彫りにくいであろう。昨年観た木喰のものでは、生木のものは、中が朽ちていた。
 この立木観音は、枯れた立木があったので造れたのだろう。また、この時代には、まだまだ、たくさんの大木がこの辺りに存在していたのだろう。その証拠には、現在でも境内に太い杉が立ち並んでいる。
 大きな立木の千手観音像を拝観者と遮るためには、それよりも大きな扉を造らなければならない。そこで考えたのが、劇場の緞帳のような幕である。幕の内と外で仕切れば、簡単だし、重さも手間もかからない。どの写真を観ても、幕開け用の紐が写っている。
 紐も工夫されていて、幕が二段に開くように出来ている。仏像と拝観者を遮るものにもいろいろある。京都・清凉寺の釈迦如来像は、電動式の緞帳が、上がる仕掛けになっていた。普通は手でお厨子の扉を開け閉めする事が多い。
 また、京都・寿宝寺では、収蔵庫の鉄扉の開け閉めをして、一日24時間の収蔵庫内の光の加減を演出して、千手観音の表情の変化を拝観させてくれた。

 昼の食事は、何にしようかと思案しながら、また、適当な場所はないものかと、探しながら、ついつい、この恵隆寺まで来てしまった。
 仕方なし、この恵隆寺を拝観してから「喜多方らーめん」で昼食にすることにした。旅の案内雑誌に載っていた店名と電話番号をしおりに書いておいた。
 その電話番号でカーナビに入力して行く事にした。

恵隆寺画像一覧その1
恵隆寺に戻る
所蔵仏像
千手観音立像
恵隆寺に戻る