仏像名

ふりがな 11めんかんのんりゅうぞう

弘安寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

十一面観音立像

様 式

文永十一年(1274)

俗称又
は愛称

製作材質

銅造
渡金

樹 種

像 高

197cm

製作者

安置場所

観音堂

開扉期間

解 説

 本尊の十一面観音像は、伝承によれば、佐布川の長者が、失恋で病にかかり早世した一人娘の菩提を弔うために、観音・脇侍の三尊を造立して、牛7頭で運ばせた。途中、中田の地で、牛が動かない。しかたなくここに安置することにしたという。
「中田観音」は、信心すればころりとあの世にゆけるというので、別称「ころり観音」として昔も今も人々に親しまれている。また、会津の偉人野口英世の母シカのように、英世の出世を祈願したり、あるいは、戦場に赴く兵士が、他所の土とならないよう、観音堂の土を「土守り」として、身に着けたとも言う。
 木彫りと見まごうばかりに、自由で繊細な写実的な鋳造技術が駆使されている。光背の銘によって、文永十一年(1274)に造立されたことが知られる。脇侍を不動明王、地蔵菩薩とするのはめずらしい。
古寺をゆく 「勝常寺と会津の名刹」より 小学館 2001年

私 の 想 い

 右手は肘をくの字の曲げて伸ばし、手の平を正面に向け、親指を中に曲げ、四つを示している。この印相と手の形が、奈良・置恩寺の十一面観音立像と同じ手で印象深い。
 左手は肘をL字に折って内に構え、水瓶を持つ。この東北地方で銅製の本格的な仏像を造る技術があったという証明である。
 同時代に奈良・法隆寺金堂に運慶の息子康勝作の阿弥陀三尊像がある。貞永元年(1232) の造立である。
 同じ三尊像であるが、組み合わせが珍しい。右に地蔵菩薩、左に不動明王である。

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