仏像名 |
やくしにょらいざぞう |
常福寺 制作年代 |
重文 平安時代 |
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薬師如来坐像 |
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様 式 |
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俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造 漆箔 |
樹 種 |
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像 高 |
124cm |
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安置場所 |
本堂 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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大正八年八月十六日国宝に指定される。像高140cm、右手は大願施無畏印を結び、左手に薬壷を持つ。頭上の肉髻が高く大きいこと法衣のしわの刻みこみに、かなりの凌ぎの立っていること、その表現に張りの強さが目立っていることは平安初期の特色を示すものであり、千年を越えると鑑定されている。 「東光山 常福寺」縁起より 2010年 |
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私
の 想 い |
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右手は脇を少し開け、肘をV字に折り、手の平を正面に向け施無畏印である。左手は脇を締め、肘を折り手の甲を組上げた吉祥坐の右足の裏に着け、掌に薬壷をのせている。丸顔の優しい薬師さまである。 祭壇が高いので見上げての拝観である。地方にあっても、奈良、京都の中央と変わらぬ仏像があるということは、この地方にも仏教の厚い信者が居た証しである。 高校の日本史の先生が、赤城山の裾野の広がる地域は、信仰心が薄い地域である。といったことが妙に私の頭に残っている。50余年を経過しても残っている。同じ北関東なのに、筑波山の周辺になるこの地域には、平安時代からの立派な仏像が存在するのである。この違いは何故なのだろうか。総理の拝出力の違いかも。 平成27年3月の第八十六回「仏像観て歩き」で訪問しました。 祭壇が高い上にお厨子の中に入り、祀られている。祭壇の前まで行っても、足元までは観られない。そこで、ご住職と右脚前か、左脚前かの話になり、ご住職が祭壇の上に昇り出した。そして、私にも昇って確かめろという。祭壇に昇ってまで仏像を拝観したのは、初めての経験である。祭壇から降りる時に、踏み外して転げ落ちる恐怖を感じました。 以前に、奈良・橘寺で二日連続で拝観した時に、ご住職に気に入られ、特別拝観の特別という事で、如意輪観音坐像の左脇のお厨子の扉を開けて、左手の第三手の位置や左脚の太腿を拝観した事を思い出す。 はっきりと区別は出来ないが、右脚が前らしき膨らみと右足の裏が左手甲の下に大きく観える。右脚の付け根に左足の裏は小さく観える。という事は、吉祥坐に坐った薬師如来という事に成る。 |
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