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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 神奈川編

名  称

ふりがな

とうけいじ

東慶寺

俗称又は愛称

女人の駆け込み寺

神奈川県鎌倉市山ノ内1367

最寄駅

JR横須賀線
北鎌倉駅

開  祖

沿  革

 松岡山東慶寺、俗称松ヶ岡。開山は北条時宗夫人覚山尼、弘安八年(1285)開創。五世用堂尼は後醍醐天皇皇女、称来松ヶ岡御所と称される。九州平戸のイギリス商館長リチャード・コックスが、当門前を過ぎ、この寺のアジール(聖所)を珍しがって、その日記に書いているとおり、男子禁制、女人救済の駆け込み寺また縁切寺年有名であった。
 明時となり、縁切寺法は廃止。釈宗演禅師住持され、中興と称さる。禅師は円覚寺今北洪川の印可をうけ、明治二十年より三ヵ年セイロン(スリランカ)に留学、二十五年三十四歳の若さで円覚寺管長となり、再度渡米、弟子鈴木大拙博士と禅の世界的発展の基をきずいた名僧である。宗演は、大正八年十一月一日、六十一歳にて遷化し、弟子の禅忠住持となる。
 大正十二年の関東大震災で、東慶寺諸堂倒壊。その後、漸次、客殿、太平殿、水月堂、寒雲亭、香積台(庫裡)等を建立した。宗演の遺志をついだ鈴木大拙は、東慶寺裏山の上に松ヶ岡文庫を創立した。
 昭和五十五年には、大徹禅定が、またその遺志を承けて、松ヶ岡宝蔵を創った。
「鎌倉・東慶寺 松ヶ岡宝蔵案内」より 2008年

私 の 想 い

 何度目かの訪問であるが、「仏像観て歩き」として訪問していないので女性の駆け込み寺であるという事くらいにしか思って居なかった。ところが、今回初めて宝蔵に入って驚いた。鎌倉時代の美女の出現である。

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