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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 神奈川編

名  称

ふりがな

ようこうじ

影向寺

俗称又は愛称

稲毛薬師ともいう。

川崎市宮前区野川

最寄駅

JR南武線
武蔵新城駅

開  祖

沿  革

 当寺は、天台宗に属し、奈良時代の天平12年(740)、聖武天皇の命令を受けた、高僧・行基によって開創されたと云われていますが、近年の発掘調査の結果、創建の年代は白鳳時代の末期(7世紀末)にまで遡ることが明らかになりました。
 最古の縁起によれば、天平11年(739)、光明皇后が眼病を患ったおり、聖武天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、
「武蔵野国橘樹郡橘郷に霊地があって、その地に不思議な霊石があります。その石の上にいつも聖浄比なき水を湛えています。此処に伽藍を建立し、薬師如来を安置し奉るならば、皇后の御悩みたちどころに御平癒となるでありましょう」
と、申し上げました。
 天皇は早速に、高僧・行基に遣わし祈願させたところ、霊験あらたかで皇后の御病気も快癒されたそうです。天皇の勅命によりこの地に伽藍がそびえたのは、その翌年のことであると伝えられています。
 国分寺建立前後する奈良時代に開かれた歴史の古さは、勿論のこと、当寺には国の重要文化財である本尊の薬師如来をはじめ、23躯の仏像彫刻や古文書類、民俗資料が数多く所蔵され、川崎市の歴史の原点を明らかにしていく上で、欠くことのできない貴重な文化財があります。
「威徳山 影向寺」縁起より

私 の 想 い

 平成20年6月に「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
川崎市で唯一国の重文であるというので、取上げることにした。「仏像観て歩き」として、これまでに鎌倉周辺の重文を幾つか拝観して来たが、いずれも鎌倉時代以後の作品が多かった。
 今回のこの薬師如来は、平安時代の作という。関東地方にも遠く平安時代の仏像があるというので期待をしている。
 電話で予めどのようにしたら拝観できるのかを聞いて、「仏像観て歩き」として、拝観をお願いしたのである。ある程度の人数と、当日葬儀がないか、用事がなければ、結構ですという。つまり、友引の日を選んだ。友引ならば、葬儀で拝観出来なくなることもないので、今日の日にお願いした。
 朝から板橋の人気の「栗饅頭」を手土産にしようと上板橋の店に行った。既に十人ほどの人が、シャッターの外で並んでいた。店が開く頃には、五十人は並んでいただろうか。
 いよいよ、店が開いて「栗饅頭」を買求めることができた。季節も季節なので、前日に買い置きが出来ないので、朝にした。
 武蔵新城駅よりタクシーで影向寺に向った。住宅街の中を縫うようにして登って行く。タクシーで寺に着いて、真っ先に庫裏に向った。それらしき服装の人が玄関に立っていたので、
「仏像観て歩き、です。今日はお世話になります」
と、いう。
「いいえ、私はここの者ではありません」
と、いい。頭を振る。
「御免下さい」
と、大きな声で改めて玄関でいった。お内儀が現れて、それらしき人が用件をいう。お寺関係の用件であった。次に私が
「今朝、電話で確認しましたが、仏像観て歩きです。拝観をお願いします。これは、板橋で人気の饅頭です。朝、買って来ましたのですが、早めに、お召し上がり下さい」
と、お内儀に手土産を渡す。
 表で待っていると、ご住職が鍵を持って現れた。本堂の後ろに、鉄筋コンクリートの収蔵庫がある。
「井上さんは、どの方ですか」
と、ご住職がいう。
「仏像観て歩き、の新井です」
「あっ。新井さんでしたね。失礼しました」
と、先に行って、鍵を明け、扉を開いて、一礼した。
「仏像観て歩き」の人達は、仏像に対する尊敬と礼拝に対することに関しては、心得ており、それぞれ、深く一礼して収蔵庫に入って行く。
「後で、鍵を掛けに来ますが、どれ位掛かります」
と、いう。
「一時間位でしょうか」
「お金儲けで、お使いにならなければ、写真は結構です。それでは、また、後で来ます」
と、いう。写真家のように上手に撮れたことはないが、ありがたい。
 しばらくの間は、「仏像観て歩き」のご一行様で収蔵庫は占拠されてしまいました。それぞれが一言居士の面々、拝観が進むに連れて、感想が聞かれるようになって来た。その内容については、個々の仏像のところで触れることにします。
 帰りは、影向寺の裏の方から徒歩で帰ることにして、判ったことがある。影向寺のあるところは、小高い丘の上にあり、そのむかしは、森厳とした谷を上ったところにあったのである。今でもその面影を残した公園が裏にあった。
「高津区市民健康の森」となっている。

影向寺画像一覧その1
影向寺画像一覧その2
影向寺所蔵仏像
薬師如来坐像
月光菩薩立像 日光菩薩立像
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日光菩薩と月光菩薩の比較表