仏像名

こうもくてんりゅうぞう

清水寺(保科)
制作年代

重文
平安時代

広目天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

樹 種

像 高

150cm

製作者

安置場所

開扉期間

解 説

 二像とも清水寺の諸像と共に奈良県から移ったものである。寄せ木造りで彩色はほとんどはげ落ちている。
 広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)は四天王に入る仏法守護神で、四方のうち広目天は西、多聞天は北を守る神とされる。また、多聞天は単独の場合は毘沙門天(びしゃもんてん)ともいう。
 広目天像は像高150p。両横の髪を焔髪(えんぱつ)とし、口を閉じ、右手のひじを曲げて手のひらを上に向け、物をささげ持つ形をとり、左手は下げて手のひらを腰に当てる。唐様甲(からようよろい)をつけ、袴(はかま)をひざ下でくくり、素足で立つ。 多聞天像は
 像高153p。で左手のひじを曲げ、手のひらに物をささげ持つ形とし、右手は高く上げて戟(げき)を握る形をとる。忿怒(ふんぬ)の形相(怒った顔)でやや腰をひねり、広目天と同様に唐様甲をつけ、胴に布を巻き、籠手(こて)・脛(すね)(あて)をつけ沓(くつ)をはく。
 両像とも鎌倉時代の天部像のような激しい動きは見られない。両腕にかかる鰭(ひれ)袖のひるがえり方も弱く、裳先も穏やかに後ろに垂れ、静かな姿である。
 藤原時代末の作で、県内の四天王像の古い例であり、しかも洗練された得難い像である。
「長野市教育委員会」ホームページの解説より 2014年3月

 二像とも寄木造り。仏法守護神として経典に説かれている四天王のうち、仏壇の西北方に位置するのが広目天で、東北方が多聞天、洗練された得難い像で、藤原時代末の作と言われています。
「阿弥陀山護国院 清水寺」より 2014年3月

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広目天立像
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