仏像名

 しょうかんのんぼさつりゅうぞう

清水寺(保科)
制作年代

重文
平安時代

聖観音菩薩立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

樹 種

像 高

製作者

安置場所

開扉期間

解 説

 清水寺は保科の谷の奥にある寺で、征夷(せいい)大将軍 坂上(さかのうえの)田村(たむら)麻呂(まろ)が大同年間(806810)に建立したものと伝えられている。以前は多くの坊舎を抱え、堂塔伽藍(がらん)を備えた盛大な寺だったというが、大正5年に全焼して、今は堂塔の跡を残すのみとなった。その後奈良県から移されたのが現在同寺にある古仏像群である。
 この聖(しょう)観音菩薩像もその1つで、像高177p、寄木造りで檜材を用いており、彩色はほとんどはげ落ちて素地をあらわしている。
 左手はひじを曲げて蓮華を持ち、右手を下げて与願印(よがんいん)とするのは聖観音菩薩像の一般的な形だが、やや腰をひねって右足をわずかに踏み出している。この動きのある姿は軽快で、平安初期に見られる重厚な表現とは異なるものである。
 また、垂(すい)(けい)の形、天冠台下の地髪、卵形に近い顔、見開いた両眼、引き締まった口もとなどは見事で、両肩を覆って腕にかかる天衣(てんね)や裳のひだも整っている。その彫り口も美しく、藤原末期の像として異色の像である。
「長野市教育委員会」ホームページの解説より 2014年3月

 桧材の寄木造りで、彩色はほとんど落ち、素地を表しています。動きのある体勢は軽快で、藤原時代末期の像として異色のものです。
「阿弥陀山護国院 清水寺」より 2014年3月

私 の 想 い

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