清水寺古像群のひとつで、桂材の一木造り、肉身漆箔としている。同寺の千手観音菩薩立像や観音菩薩立像とともに、平安時代中期の作と考えられる。像高157p。円頂で彫眼(ちょうがん)、衲衣(のうえ)をまとい、左腕を曲げて掌上に宝珠(ほうじゅ)をささげ、右手は前で物を握る形をとり、その手に錫杖(しゃくじょう)を握っていたものと思われる。
顔は頬を張ってやや下を見下ろすようすで、手法・形式は同寺の観音菩薩像と同じく、肩を張り、わずかに左肩を上げて頭を少し左に傾けるなど、像の内に動きを持つ。
衣文(えもん)も観音菩薩像と同様の翻波式(ほんぱしき)衣文(えもん)とし、大波の頂を平らにしているが、この像の特異な点として、衲衣(のうえ)の正面の大波の間に稜(りょう)のある小波を二筋入れているのが注目される。
なお、手法や形式に共通性が見られることから、同寺の観音菩薩立像と同じ作者によるものではないかと推測される。
「長野市教育委員会」ホームページの解説より 2014年3月
*どんな仏様なの?*
地蔵菩薩は、お釈迦さまの入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、この世の中にほとけさまが不在となってしまいます。その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻するわたしたちを救う菩薩であるとされています。
密教では胎蔵曼荼羅の地蔵院の主尊として、髪を高く結い上げきらびやかに身を飾った菩薩形に表され、右手は右胸の前で日輪を持ち、左手は左腰に当てて幢幡を乗せた蓮華を持っています。
お地蔵様は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩する人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされています。一般的には「子供の守り神」として信仰を集めております。
「信州松代 北信濃厄除大師 清水寺」ホームペヘジより 2014年3月
『清水寺の地蔵菩薩』
一木造りの本像も、他の清水寺所蔵の古像と共に信州における最古の木彫像です。
いかにも堂々たる量感、動きのある像容、そして彫りの強い衣紋の特色が見受けられます。これらの特色は聖観音像の特色と共通するもので、やはり九世紀〜十世紀初頭の典型を示しています。
衣紋からあらわれた胸の大半を占める肉身部を、滑らかで純化した面で構成し、それに続く広い正面の裳を、大きな波の間に小波を二条はさむ、複雑な翻波式衣紋で飾り、鮮やかなコントラストをみせ、聖観音像と比べより一段と造形上の工夫を凝らしています。
清水寺の地蔵菩薩は、錫杖を右手に握るお姿をしています。この姿は、十三世紀(鎌倉時代)からみられる特色であり、十三世紀以前は右手をそっと垂らしているお姿でした。造像当時からこのお姿であれば、錫杖を持ったお姿の地蔵菩薩として、日本最古の像と云われています。
「信州松代 北信濃厄除大師 清水寺」ホームペヘジより 2014年3月
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