清水寺(せいすいじ)は松代から南に入った谷間の奥、六供(ろっく)部落にあり、あまり目立たない真言宗の小寺である。もとは現在地の西南の十二原にあったが、数次の火災後いまの地に移ったと伝えている。現在は耐震耐火の収蔵庫内に、この像をはじめとする平安時代中期の古仏像が安置されている。
千手(せんじゅ)観音像はこの寺の本尊で、像高は180p。桂材の一木造りとしている。なお、全身に散らされた金箔は江戸時代の補修の際に施されたものである。
一木造りの手法は奈良時代に始まり、平安時代にいたって盛んになった彫法で、平安時代の中期に近づくにしたがって、干割れを防ぐため内刳(ぐ)りを施す事が一般的に行われた。 この像は内刳りがなく、一木造りの手法を用いている点や、衣の襞が大波と小波が交互に波打つ翻波式である点などに平安時代初期のいわゆる貞観様式の特徴が顕著にうかがわれる。しかし、平安時代初期のものは抑揚があって量感の強いものが多いのに対し、この像は量感を欠き、優美な姿態をとっている。このことから、実際の制作年代は平安時代中頃に下ると見られる。
県内の木彫り彫刻のなかでも、最古に属するものである。
「長野市教育委員会」ホームページの解説より 2014年3月
*どんな仏様なの?*
千手観音は、千本の手によってどのような悩みを持った人をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表現しています。また、密教の曼荼羅において観音像は「蓮華部」に所属されております。千手観音を「蓮華王」ともいわれ、観音の王であると言われております。
よく、千本も手が無いのに、なんで千手なの?と質問を受ける事があります。これは、十一面四十二臂(ひ)と言って、11の顔と42本の手がある形が一般的です。胸の前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」ということになります。
奈良・唐招提寺の千手観音のように、実際に千本の手を表現した仏像もあります。『清水寺の千手観音』頂に如来相、その周囲、天冠台の上に十一面をいただき四十二臂、頭部を比較的小さめにつくり、長身の像容の肉どりをいかにも端正にまとめています。
頭部から足先までを堅い桂材の一木から彫成した、所謂一木造の典型的な像で正面の遥か彼方を直視するかにみえる姿は、他の菩薩像の動的な表現に比べていかにも静寂で、しかも典雅であり、衣紋の彫り口も他の像に比べると穏やかに品よくまとまっていいます。
この静かでしかも威厳のある像容には、前代の天平様式(八世紀の特色)すら認められ、様式的にも極めて特色があります。
製作は九世紀の頃で、信州における現存最古の木造であり、一木造りの仏像では東日本で最も古いほとけさまです。中尊の静けさと、両側の菩薩像の動態とが対比されて、この堂内に平安時代も早い頃の信州の造像活動の粋が示されています。
「信州松代 北信濃厄除大師 清水寺」ホームペヘジより 2014年3月
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