古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編2

名  称

ふりがな きちでんじ

吉田寺

俗称又は愛称

生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23

最寄駅

開  祖

沿   革

  千古の歴史を秘めた日本上代文化発祥の地、斑鳩の里に吉田寺がある。世界文化遺産の法隆寺と万葉の古歌で有名な竜田川の中間にあり、竹薮や樹木の生い茂った森の中に、ひっそりとたたずんでいる。
 創建は古く天智天皇の勅願と伝えられ、本堂西側に天皇の妹君・間人内親王を葬ると言われる清水の古墳がある。永延元年(987)に恵心僧都(源信)が開基した。通称「ぽっくり往生の寺」「ぽっくり寺」と呼ばれている。
「吉田寺縁起」より

 昨夜はオフィス2000の未認証でワード、エクセル等が使用不能に陥り、入力できず今朝、7時過ぎに電話で認証番号を教えてもらい、ようやく使用可能になり、入力をしてホテルを出たのが、9時半になっていた。インターネット喫茶でメールを打つ。
 写真を挿入して、送った場合に、受信者の機器に負担が、係るようなら別の方法を採る必要がある。その辺を専門家に問合せた答えが来たので、早速、自宅のパソコンにテスト送信をしてみた。出来そうなので、試しに今日の分をその方法で送信して見ます。
 不都合があれば、メール下さい。それともう一つは頭にメールアドレスを表示してしまっていて、御免なさい。深くお詫び申し上げます。第10日の分から修正致しました。
 今日も法隆寺と周辺の寺を拝観するつもりである。昨日と通ったと同じ道を法隆寺に向かう。ここ何日かこの道は通る事になりそうだ。雨で桜の花も散り出して、赤いガクが目立つ様になって来た。
 今日の最初は吉田寺(きちでんじ)である。仏像は阿弥陀如来坐像だけである。今回資料整理をするまで知らなかった寺である。道の立て案内板に「ぽっくり寺」とあり、所々で見る。法隆寺を過ぎて、1km先にその看板で左折の案内板があった。
 本堂に入ると講和中で僧侶が緑の袈裟を着て、阿弥陀如来の話をしており、僧侶の声が大きく響く。最後に「南無阿弥陀仏」を3回唱えて、終わった。同級生の団体三十名で長野から来たという。講和の後、一辺騒々しくなり、本堂から外に出たところで徐々に静かになってゆく。
 ついに拝観者が私一人になった。縦長の本堂で一番奥に阿弥陀様の壇がある。私は阿弥陀さんの近くで拝観しながら、記録を取っていた。
 何やら僧侶が入口近くの受付で、受付番をしている母親に対して
「なにやらしないとあかんやないの」
と言って叱っている。
「はい。はい」
と意に介してか、解さずか、なまくら返事をしている。僧侶も居なくなり、本当に静かな時が流れる。
 記録も終わって入口で、阿弥陀さんの写真を購入した。受付の老婆は先代の住職の奥様で、現住職の母親なのだろう。ここの阿弥陀さまにお願いすれば、病気の人で、治る人は直ぐに治るし、病む人でもぽっくり死ねる、有難い阿弥陀さまである。それを力説強調する。
 この話を聞き、あれと一諸だと思い、笑いながら聞いていた。それは落語の「死神」を思い出していた。枕元に居れば、回復する。足元に居れば駄目だ。この阿弥陀さんは「死神」の役回りである。
 これまでに、いくつもの阿弥陀堂を観て来たが、それらと違って、縦長の建物は、どうしてなのか、尋ねようとした折に、老婆が奥に、阿弥陀様を移すまでの苦労話をする。
 それは、重要文化財なので収蔵庫を造る事になったが、他の寺と違いこの阿弥陀様は、見る阿弥陀様で無く、拝む阿弥陀様である。これを何回も強調する。
「拝みましたか」
だと。見てたんかいなと思いつつ。
「良く拝みましたし、良く見せて頂きました」
といって、老婆の肩を軽くたたく。
 拝む阿弥陀如来にするべく、収蔵庫は本堂から15m離さなければ、許可が出ない。そこで、建てた時は、別の建物であったが、今は一体の建物になっている。
 しかし、扉を閉めると別の建物で、防火上も安全上も充分で、当時(昭和五十年)この建て方を見に全国から来られましたという。
 気が付かなかったが、立っている柱を見ると中央に阿弥陀さんが座る間があり、前に極楽浄土を祀る間がある。そこは、今は拝む場所になっており、一人座布団と座布団の前には木魚が一人ずつ備え置いてある。
 中央の間の周りの一間の廊下も付いている。中央に阿弥陀如来が在った時には念仏廻りが出来たのである。
 しかし、奥に座ってしまった、今では、それは出来ないが、後ろの人でも、良く見えるように、一段高く壇を造ってある。その高さにも、住職は悩み苦労したのだという。裏山を削って収蔵庫を建てたのを見せる為に、本堂脇のガラス戸を開ける。
 先代の住職との時を懐かしむように話をするのである。しゃべり好きな老婆に捕まってしまいました。
 そこへ、四名の拝観者が現われ、開放される。お礼をして、本堂を出たが、大きな老婆の声は聞こえる。ご祈祷をする為に、用紙に生年月日や氏名を記入するのだろう。
「何年は、干支は何々、数え何歳。何年は、干支は何々、数え何歳。何年は、干支は何々数え何歳。」
だと、昭和も大正もすらすら、外で聞いて居ても中が判る。たいした頼もしい老婆である。
 遅くなって、1時半の昼めしになった。法隆寺近くに「めしや」があった。最初に大阪に来た昭和45年頃には、大阪にはたくさんのこうした「めしや」があった。独身の者に取って、有難い存在である。
 ごはんと味噌汁が基本で、あとのおかずは、皿の大きさや形の違いで値段が決まっている。食べて皿の数と大きさ、形で計算してくれる。好きな物が食べられて、手持ちのお金と相談しながら、食べられる。
 現在はコンビニ弁当で単身者も暮し易いが、昔の東京の暮らしは定食で、決められた食べ物で変化が無く、暮らし難くかった。
 懐かしい「めしや」で食べたら、丁度1000円だった。結構な値段になった。駐車場に車を入れて法隆寺に2時に入った。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」での2度目の訪問では、次のように書いている。
ここの阿弥陀如来様にお願いすると、誰もお年寄りが願う、「ぽっくり」と成仏出来るという。阿弥陀堂には私一人であったが、その内に朝のお勤めが始まった。
 僧侶は、最初はいろいろな所作をしていたが、蒲団に座ると、私の判らないお経が唱えられる。しばらく聴いていたが、途中で立ち上がって退席する。
 本堂入口の受付には、いつの間にか、先日奥の収蔵庫を設計して、苦労した話を聞いた婦人ではなく、その旦那様の元の御住職が座っていた。この方も一緒になって、お経をつぶやいている。僧侶の性なのでしょう。 少し戻って、前記の「めしや」の話をしたところで昼食にした。750円でした。顔を覚えてくれていたようである。昼ご飯も済んだし、前の旧国道25号線で八尾市内まで行く。

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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上