仏像名

ふりがな みろくぶつざぞう

東大寺
制作年代

    重文
奈良時代・8〜9世紀

弥勒仏坐像

様 式

俗称又
は愛称

試みの大仏

製作材質

木造
素地

樹 種

カヤ

像 高

39cm

製作者

安置場所

法華堂

開扉期間

解 説

 東大寺法華堂の本尊不空羂索観音立像(国宝)の背後に祀られ、良弁僧正(689773)の念持仏とも伝えられる。像高40センチたらずの小像でありながら、スケール感のある堂々とした姿を示しており、「試みの大仏」という名でも親しまれている。
 両手首先を除いて、頭部から脚部までをカヤの一木から彫出する。像底は左右二ヵ所に丸枘穴を穿った造り出し部を残して深さ五センチほどの刳りを施しているが、これからは後世、台座に枘で固定するために行なわれた処置とみられる。従って、本来刳りは施していなかったと考えられる。指先の一部や螺髪のすべては後補である。
 翻波や茶杓形を交えた衣文の彫りは鋭く、かつ深い。何ら迷うことなく一気に彫り上げた感がある。右手から腹部へとたるんだ衣の内側は衣文を彫りにくい部分であるが、この像ではしっかりと彫り込んでおり、仏師の熟達した木彫技術の冴えを見ることができる。
 やや大きく開いた眼や厚い唇など、異国的な風貌をもつ。眉を額の面より一段高く傾斜面で表わしているが、これは東大寺大仏蓮弁に線刻された図像や東大寺戒壇院厨子扉絵の諸尊に見られる幅の広い眉と通じ、唐風の表現と考えられる。
 こうした顔立ちの特色は、奈良・法華寺の十一面観音菩薩立像(国宝)に通じる。また左手に懸かる衣が後方になびくなど、風を意識した表現が見られる点もこの像の特色といえる。
 左手は掌を伏せた形を示しているが、この印相は触地印(降摩印)といって、釈迦が悟りを開いた際に、大地を指さして悪魔を退散させたことに基づいている。右手を施無畏印、左手を触地印とする弥勒如来の例はいくつか知られるが、その中でも注目されるのが奈良・唐招提寺講堂の像である。
 現在の像は弘安十年(1287)に復興されたものであるが、「招提寺建立縁起」によると、当初の像は唐の法力法師が造立したという。法力法師(軍法力)は鑑真とともに来朝した弟子の一人であり、唐招提寺講堂の当初の本尊は、おそらく唐風の強い像であったと考えられる。
 現在の像が当初像を意識して造られたとすれば、唐風の強いこの東大寺像と唐招提寺講堂の当初の本尊像との間には何らかの関連があった可能性を想定してもよいだろう。
「特別展 一木にこめられた祈り」より 東京国立博物館 2006年

私 の 想 い

 法華堂の不空羂索観音立像の背後にあったとされる。しかし、何回も法華堂には行っているが、この像に出会った記憶がない。そういえば、以前はお堂の裏にも廻れたような気もする。裏に執金剛神像の入ったお厨子と痛んだ弁財天立像が立っていたような気もする。ところが今は裏には廻らせないようになっている。
 平成17年4月の時には、お堂の中は靴を脱いでスリッパに履き替える方式に変っていた。粉塵の面からすると大変好いことだと思う。
 平成18年10月に「仏像 一木にこめられた祈り」展として、東京国立博物館で開催され拝観した時には、次のように書いている。
 首をちょこんと前に出して座る。顎を前に出して座った姿が奇妙な感じである。右手は肘をL字に折って前に出し、手首を折って手の平を真正面に向けて発信している。親指を手の平側に入れ、人差指と小指は真直ぐに伸ばし、中指と薬指を軽く内側に曲げる。施無畏印でも指型に特徴がある。
 左手は左膝頭に手の平を置き、手の甲が表になるこれも特別な印相である。手の甲からも特別なパルスの発信があるのだろうか。

弥勒仏坐像画像一覧その1
弥勒仏坐像画像一覧その2
弥勒仏坐像
東大寺に戻る

弥勒・不空羂索の所在と制作年代