仏像名

あみだにょらいりゅうぞう

新光明寺
制作年代

重文
鎌倉時代

阿弥陀如来立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、漆箔、
玉眼、金泥、

樹 種

像 高

99cm

製作者

安置場所

別院本堂

開扉期間

解 説

 本像の着衣の形式は、同じく快慶作の奈良・西方寺の阿弥陀如来像と極めて近似している。また、両手の来迎印は、通常と違い、京都・遣迎院像と同様に一・三指を捻じっている。また、体は正面を向いているが左足をわずかに踏み外して立っている。
 昭和五十七年、奈良国立博物館でのX線写真によれば、胸部中央やや向かって左付近に木造五輪塔が納入されているのが確認できる。この五輪塔は、水輪部に水晶かと思われる珠を嵌入している。
 本像の張りの強い独特な顔立ちや、胸腹部の肉身表現などが快慶の初期の頃の特徴を有してるものの、細部は晩年の遺品と共通のものもあり、全体としては、なお研究の余地がある。
「遍照山 摂取院 新光明寺」の沿革より 2012年

 高さ約1mの阿弥陀如来の立像で、一つの材で頭部と体部を彫ってた後に、体部は耳の後ろを通る線で前後に割り、干し割れ防止のために内側を刳り貫いて再び矧ぎ合わせ、更に背中に一枚の板を矧ぎ付けています。頭は首の部分で割り離してから挿し込み、眼球には水晶で表す玉眼嵌入と呼ばれる手法を用いています。その他にも両肩、両腕、両手等が別の材で作られています。また奈良国立博物館によるX線写真では、像内に水晶を嵌め込んだ木製の五輪塔が納められていることが確認されています。
 鎌倉時代の代表的な仏師快慶の作風である「安阿弥様」と呼ばれる阿弥陀如来像で、服装は下半身に裙と呼ばれる衣を巻き付け、上半身は背中から右肩へと一枚の内衣をかけ、その上から衲衣を左肩から右脇腹へと着けています。衲衣の端が左肩からの紐で吊られて左腕の外側に垂れ下がるのが特徴で、このような形式は快慶の初期の作例である奈良西方寺や京都智恩寺の阿弥陀如来にみられるものです。台座の上に左足をわずかに踏み出して立ち、右腕は臂を屈して掌を前にして上げて左腕は下に伸ばし、「来迎印」と一般に呼ばれる印相を結んでいますが、人差し指ではなく中指と親指を捻じる点が他の阿弥陀如来に多く見られる印相とは異なっています。
 銘文や確実な記録がないため断定は出来ませんが、他の快慶の作品と共通する点が多く、鎌倉時代初期の貴重な作例といえます。
 新光明寺は昭和15年の静岡大火で火災に遭いましたが、この阿弥陀如来は当時まだ少年であった前住職が弟と命懸けで谷津山まで避難させました。
静岡市文化財通信 「ふちゅ〜る ミニ 第2号」より 2010年4月20日発行

私 の 想 い

 第五十九回「仏像観て歩き」で静岡県を選んだのは、拝観する機会も少ないのもあるし、慶派の実慶の作品を観ると言う事で、函南仏の里美術館も瑞林寺もこの新光明寺も拝観する事になりました。
 案内のバンフレットを観て驚きました。快慶の三尺阿弥陀像ではないかと思うほどの作品である。今までにも、沢山の三尺阿弥陀像を観て来ましたので、それらと比較すると、どんなものか検討して見たい。
 快慶作の三尺阿弥陀仏の特徴的なところを挙げて観る。
1)面相が四角いお顔をしている。
2)目尻を上に吊り上げる。平行よりも上に上げる。
3)胸とお腹の間に、一つ膨らみを持たせている。上から胸、その膨らみ、お腹のふくらみと
 そ
の下から衣でお腹を包み隠す。
4)通肩の右襟が、しの字型から、|型に直線的に下に落ちる。初期はしの字型、後期は|型
 に変化する。

5)お腹に刻まれる衣文線が八本前後で余り変わらない。左上がりの皿型で表わす。
6)股間を逆三角形で衣文をまとめる。
7)太腿の衣文を余り刻まない。笹の葉様に細く残し、上端は腰にまで達する。
 唐招提寺の如来形立像のように広く、大きくもなく、また、清凉寺の釈迦如来立像のよう
 に
細く、細かくもない。笹の葉様である。
8)下半身の上衣を膝下でU字型に丸く着せている。
9)下衣は、裾が地面を引き摺るように着せ、両足が裾から顔を出すように観える。両足の間
 も
裾が地面に着く。衣を長く着せることが多い。
10)座は、円形のものと、お尻のように二つに割れたものと二つある。割れた形式は後期に
 多く観られる。

11)飛雲もあるようだが、拝観した作例が少ないし、画像でも確認出来ないために結論出来な
 い。

以上が特徴的な点を、部位や箇所と事項を列記しました。
 これ等の条件と、本像がどうか。
合致している点は、1)、2)、3)、である。
4)は、右袖が肩から真直ぐ下に落ち垂れ下がって出来ているので、後期の作であると思う。5)は、合致する。
6)は、少し違いがある。
7)、8)、合致する。
9)は、少し短めである。
10)は、一つの台座である。
11)は、飛雲ではない。

本像の解説では、奈良・西方寺を書いているが、確かに西方寺像には左胸から左肘に一枚の袈裟の一部が捲れたように出ている。この袈裟の一部がこのように描かれているのは、西方寺像のみで、それ以後のものにはない。もう一つ、4)で触れなかった点で、左襟の描き方である。
 前期の作では、左襟は変化する事無く、右襟もそのままお腹の前でU字に納まる。ところが、本像は快慶後期の作に良く観られる一枚の襟ではなく、内側から食み出て来る。西方寺像では、左襟は一枚の襟なのに、袈裟の一部が左肘に捲れる。
 決定的なのは、中指を親指で摘む中品印である。快慶は品の変化をさせた像を観たことが無い。今までは皆、上品下生の印相をしていました。結論、快慶作に似せた別人の作である。と、私は思います。
 ところで、先年、東京国立博物館で特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」が開催され、そこに出展した所蔵 浄土宗の阿弥陀如来立像がありました。一見快慶作風であるが、細かい点では違いがある。
 いずれも、上記の条件と比べて、真贋を確かめるようにしている。画像を並べて検討するのも面白い。傾向も判って面白い。快慶の三尺阿弥陀像にはそうした楽しみ方がある。

阿弥陀如来立像画像一覧その1
阿弥陀如来立像画像一覧その2
阿弥陀如来立像
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