古寺巡礼
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仏像観て歩き
静岡県編

名  称

しんこうみょうじ

新光明寺

俗称又は愛称

静岡市葵区伝馬町11-2

最寄駅

JR東海道線
静岡駅

開  祖

沿  革

 当山は、念仏の元祖 法然上人を宗祖と仰ぐ浄土宗に属し、京都にある総本山知恩院の直末寺で、遍照山摂取院新光明寺と称します。
 寺伝によれば、貞永元年(1232)、法然上人の法孫 恩蓮社源誉上人が、今の静岡市伝馬町の地に、仏師快慶作の阿弥陀如来像を御本尊として安置し、東海の念仏道場として建立された寺であると伝えられております。法然上人の御開宗から五十七年後のことです。このことは昭和五年刊「静岡市史」第四巻にきさいされています。
 けれども、「駿河記」(文化六年(1809)刊や「駿河志料」(文久元年(1861))刊など、近世の地誌類などには、永正八年にこの地に至った鎌倉幕府二代将軍頼近の子孫で鎌倉光明寺九世源誉上人により創建されたという記載がります。こちらの伝によれば、源誉上人は、頼朝の妻政子の発願により、当山創立の後、当地に滞在し入寂されたということです。
 いずれにしても、度重なる火災やその他の災厄により、寺の縁起の類は残されておらず詳細は不明であります。その後、山科言継(大納言)の書いた「言継卿記」には、「駿河の新光明寺に一年有半滞在す塔頭は二十を数え。伽藍完備せり」と記録されていて、当時(1556)の当山の壮観ぶりが伺えます。
 しかし、かくも荘厳を誇った当山も嘉永七年の大地震により、堂塔尽く損壊し翌八年に再建しましたが、往年の威容は取り戻すことが出来ませんでした。
 その後も、明治九年の伝馬町大火、昭和十五年の静岡大火、昭和二十年の米軍空襲等、相次ぐ火災により度々類焼し、一時は本堂も無い有様となってしまいました。
 昭和三十三年七月七日、第三十九世勝誉至道上人は本堂を再建して落慶式を挙行しましたが、病弊も顧みず奔走したため、同年八月二十五日に遷化せられ、同年九月九日、遺弟泰彦が第四十世住職に任命され現在に至りました。
「遍照山 摂取院 新光明寺」の沿革より 2012年

私 の 想 い

 この寺では、びっくりしました。街中の駅前で、外国語を教える教室もあるというビルの7階に阿弥陀如来立像が安置されているのである。
 薄れてしまった用紙の阿弥陀如来立像を解説したものをコピーして貰った。国の重要文化財に指定されている分にしては、教育委員会の解説資料が少ない。
 教育委員会は国指定の仏像については、関係ないのだろうか。それともお金の出所がなくて、口をだせないのだろうか。宗教と政治の関係で口出しや資料作りに手心が加わるので、止めているのだろうか。

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