仏像名

 とばつびしゃもんてんりゅうぞう

成島毘沙門堂
制作年代

    重文
平安時代

兜跋毘沙門天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造

樹 種

ケヤキ

像 高

359cm

製作者

安置場所

毘沙門堂

開扉期間

解 説

 地天が両手で支える、わが国最大の兜跋毘沙門天像。地天を含みケヤキの一木造。左右に二鬼を従える。円仁請来の天台系の図像との関連が指摘される。
「日本の仏像 勝常寺薬師三尊とみちのくの仏」より 講談社 2008年

 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ、聖武天皇の命令により、東北のエゾを鎮撫平定し、日本国北方鎮護の守護神として、この地(成島)に毘沙門天を祀ったと伝えられ,無量の神徳が授かると信奉されている。
 御丈473cm(約一丈六尺)欅の一木彫成仏としては、国内唯一と称され、活気溢れる名大作で、平安朝中期の作品とみられ、大正九年には国宝に指定。
 昭和25年国の重要文化財に指定され,文化庁の文化財保護の方針により収蔵庫が造営され収納されている。
「泣き相撲の宮 熊野神社 参拝のしおり」より 2012年

私 の 想 い

 この像の足の脛(すね)には、むかしこの地方の人々が味噌を造って味が好くないと、ここに持って来て、脛に貼ると味が好くなるといって、いつも脛には味噌が着いていたとのことである。
 平成24年5月に第五十八回「仏像観て歩き」東北編で「仏像観て歩き」の仲間と訪問したときには、次のように書いている。
 今回の旅は、要約すると毘沙門天像を訪ねる旅と観ることも出来る。北から順に毘沙門天像を観ることになるからである。中でも大きく代表的な毘沙門天像である。坂之上田村麻呂征夷大将軍が兵を興した場所ということでは、一層感慨深いものとなりました。
 美人妻の吉祥天像と、地天女像、尼藍婆像、毘藍婆像を従えての、女性軍団の勇ましい姿を観る一方で、次代を担う息子の善膩師童子像の姿ないのが残念である。

兜跋毘沙門天立像画像一覧その1
兜跋毘沙門天立像画像一覧その2
兜跋毘沙門天立像
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