花巻温泉郷の一つの台温泉に泊まる。湯の量は少ないが山の温泉といったところで旅の疲れを癒すのに好いところである。
まず、花巻駅に出て、ここから東和町行、毘沙門経由で毘沙門前にて下車するとよいという。しかし、一日三本しかない。全く不便なところであるからしかたなく、花巻駅からタクシーで行く。
と、いうふうに昭和40年5月には書いている。
平成21年3月に世田谷美術館で開催された特別展「平泉 みちのくの浄土」天を第十七回「仏像観て歩き」として、拝観することになりました。
この時には、次のように書いております。
吉祥天像だけが代表して東京まで遣って来ました。ご本尊までは大きくて運び切れなかったのでしょう。台座の形状を観て、奈良・唐招提寺の木彫群に似ていて、円形の杯を思い出す。時代的には一昔古いのだが、良く似た形状である。
平成24年5月に第五十八回「仏像観て歩き」東北編で「仏像観て歩き」の仲間と訪問したときには、次のように書いている。
この毘沙門堂は仏教と神道とが同じ敷地で共存している。明治以前には何処の地でも見られた現象なのだろうが、明治政府の廃仏毀釈政策に依って分離されたし、多くの仏像も壊され捨てられたのである。そんな中でこの地では、これまでと変わらず両方が残ったのである。
征夷大将軍に任ぜられ、北方民族の鎮圧と平定に活躍した坂之上田村麻呂が兵を挙げたのがこの地である。そして、大きな毘沙門天像を造り北方の守りを固める。どちらも立てるのは、寺も神社も両方とも仲良く残すことである。
ここの神社ではテレビ度々観た事がある「赤ん坊の泣き相撲」大会がある神社だったのである。一歳の祝いに神社の前にある土俵に上り、泣き相撲に参加し子供の幸せを願う。こうした地元に根差したお祭りや行事も神社の特徴である。
今日は東京から朝出て来て2ヶ所目の拝観である。二戸市からここまではかなりの距離があり、時間もかかった。
この成島毘沙門堂でも拝観する環境は良くなっている。収蔵庫に納まり、照明も当てられ、管理もされている。しかし、部外者である拝観者は通りすがりに寄って行くようなものである。神社の前の土産物屋さんが管理をしている。
どこのこうした無住の収蔵庫や寺でもそうであるが、頼みにするのは市町村の教育委員会の文化財保護の担当者なのである。地味な仕事で変わり映えがしない。中でも文化財保護の仕事は、補助的なことが多く目立たない。末端で実際に管理をしている人達に様子を聞くのが一番である。
古いままのパンフレットや何十年も前に造った案内板や掲示板が堂々と第一線で現役で活躍している。合併前の市町村名教育委員会のままでの、案内板や掲示板がされている。全て、担当者が見回っていないことに原因がある。こうしたことが許されている現状がある。新たに花巻市になってからは東和町の時とは違うという。市町村の大合併は良い方向に向かっていない。末端にまであるいは、指先の細かいところまでは行き届かない。末端は無視されて行くのである。文化財保護を担当している人々に奮起をお願いしたい。やれば、仕事は一杯ある。
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