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仏像名で寺を探す | ||
仏像観て歩き 東北編 |
名 称 |
竜宝寺 |
俗称又は愛称 |
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所 在 地 |
仙台市青葉区八幡 |
最寄駅 |
JR仙石線 東北福祉大前駅 |
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開 祖 |
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沿 革 |
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別格本山 龍寶寺縁起記 龍宝寺は文治年間(1186)伊達家の祖、朝宗公が再興し自家の祈祷寺としたもので、古くは陸奥鎮守府の将軍坂上田村麻呂の鐘銘から平安時代に創建されていたものと推察される。祈願寺になってからは中村、梁川、米澤、岩出山と伊達家に付随し、慶長三年頃(1598)政宗公が仙台居城に当り城北恵澤山に龍寶寺を移創した。その後政宗公の願いにより境内に八幡宮を創建することになり、当寺が米澤にて護持していた成島八幡と大崎氏滅後伊達家が護持していた八幡神を龍寶寺中興十一世実済住職が合併し祀ったものが現在の大崎八幡である。 八幡宮の開眼落慶法要は龍寶寺実済住職が導師として、定禅寺(廃寺)等数10名の真言僧侶により両界曼荼羅供が修法された。以後は別当として明治の神仏分離に至るまで龍寶寺八幡宮と公称されていた。 龍寶寺は当時「恵澤山宝珠院龍寶寺」と称し、藩政時代は伊達藩内最大の真言本寺として八幡宮別当も兼ね寺領二百七十石余、塔頭六院蓮乗院、龍成院、玉頭院、泉照院、東光院、別当坊にいたるまで各十五石余が附され、八幡宮の祭事燈明料等を加えると四百八十石余に及び、荘田等も附加された。また城下最大の門前も与えられ龍寶寺門前町(現八幡地区一帯)を有し、藩内には末寺七十数ヶ寺を数え外に、庵を持つ(三十三観音の札所観龍庵もその一つである。) 伊達家一門の大寺院であった。 藩政時代最大年中行事は正月22日より、一週間青葉城にて、伊達家の武運を祈る護摩祈祷があった。二十五世実政住職は藩内随一の博学の僧で境内に藩唯一の公衆文庫(法宝堂、昭和十四年焼失)を建立、五代吉宗公の命にて龍寶寺八幡(現大崎八幡)竹駒明神(現竹駒神社)陸奥国分寺等、著名の寺社の縁起を著し風土記の基をなしている。 釈迦如来はこのような大寺院にふさわしい本尊をと願って四代綱村公が勧請し八幡神の本地仏ともしたのである。釈迦像は平安時代宋から渡来した京都嵯峨清凉寺の釈迦像の摸刻の北限と云われ、鎌倉初期の作と云われる。ガンダーラ様式の背高162cmのみごとな寄木造である。像は藤原秀衡の盛時金成村の炭焼藤太が七堂伽藍を建立し釈迦堂を建て、息子金売吉次が京より砂金四十駄で勧請し、以後常福寺、福王寺、と勧請され綱村公が録十石にて龍寶寺へ安置したのが元禄九年1696)七月、二十二世実養住職の時である。同時に京にて文殊、普賢の脇仏、厨子を求め、厨子は海路運搬中難船し、打ち上げた浜を閖上と呼ぶようになった。 この釈迦如来は明治30年国宝に指定され、昭和26年国宝再編で国の重要文化財に指定された。古くから出生如来、願掛け如来、子育て如来として多くの信仰を集め、4月8日の降誕会、花祭はよく知られている。 明治二年の神仏分離令により龍寶寺八幡宮は大崎八幡宮として独立し、中興四十五世永憲法印は復飾し、大崎八幡宮の初代祀王となり龍寶寺は衰微したが、明治33年四十六世亨賢法印によって再興され、先住尊昭代に至り、旧時を偲ぶ伽藍となった。 参詣のしおり 別格本山 恵澤山 龍寶寺より 平成二十六年四月 |
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私 の 想 い |
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今日から4/8に第七十七回「仏像観て歩き」で仙台に行きました。仙台には北限と云われる清凉寺式釈迦如来立像を拝観するためです。京都・清凉寺にある釈迦如来立像は、三国伝来の仏像で東大寺の僧奝然が唐から持って来た釈迦如来立像で生身の釈迦を生写しした像です。胎内には内臓も存在していて37歳の時だという。平成16年に清凉寺に訪問した時に初めての拝観をしました。清凉寺式釈迦如来立像は、昭和40年に奈良・西大寺に訪問した時にその存在を知り、その間が半世紀になり、他に唐招提寺、滋賀・西明寺、東京・大円寺、鎌倉・極楽寺、称名寺、茨城・福泉寺、京都・三室戸寺、神奈川・真福寺等いくつもの清凉寺式釈迦如来立像を拝観して来ました。そんな意味では、今回の旅は、締め括り的なものとなります。重文に指定された像も残りいくつか存在しますが、それはそれで好い。 清凉寺式釈迦如来立像の特徴を幾つか挙げて観ると、 1)頭の螺髪が、螺髪でなく、縄目状のものである。 2)襟の布が右肩に架かるものが一回だけ折り返っている。 3)胸に刻まれる衣文線が同心円になって居る。 4)通肩に衣を着ている。 5)太腿から膝下までの衣文線がさざ波が寄せるが如く続いて刻まれる。 6)股間の衣文線がY字形である。 7)足下の衣が三段重ねになっている。 などの特徴があり、立像であることも、手が大きいのも特徴的だ。 お釈迦様の誕生日ということでのご開帳なのだ。11時からのおつとめを傍らで拝見しました。所作と勤行が続き、約1時間を傍らで聞き入っておりました。ご住職がお召しになって居たのも田相衣の意匠のある着物でした。 |
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