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仏像名で寺を探す | ||
仏像観て歩き 東北編 |
名 称 |
薬王寺 |
俗称又は愛称 |
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所 在 地 |
福島県いわき市四倉町薬王寺字塙73 |
最寄駅 |
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開 祖 |
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沿 革 |
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薬王寺はいわき市四倉町にあり、今から千二百年前の大同元年頃、当時学僧として名をはせ、又近頃はいわき祭りで顕彰されている徳一大師の開創で徳川時代までは僧侶の修行寺院で、幾多の高僧が在住、真言宗の一大本山として栄えた。 明治戊辰徳川勢の兵火にあい、四十八宇の殿堂、百五十石の御朱印、百六十三ケ寺の末寺を有したさしもの薬王寺も、文殊堂を残し灰燼に帰した。その「文殊菩薩像」は平城主内藤氏が元禄十六年寄進したものと言われ運慶作と称されている。全高百十五センチでやや写実的なスタイルは清潔で、スッキリした線が美しく、高い芸術性も備えている。 学問の仏で学業成就、家内安全、海上安全等の参拝客が年間を通じて絶えず、特に進入学シーズンや、春秋の行楽期には親子連れや家族連れがどっと押し寄せ、大変な賑わいを見せている。他に、重要文化財の「絹本着色弥勒菩薩像」掛け軸 一幅と舎利塔がある。 「薬王寺」縁起より 2010年 |
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私 の 想 い |
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福島県の浜通りと言われる太平洋岸の地方は、冬も二重三重の山に守られて雪は少なく、温暖なところである。どこの海岸地方もそうであるが、海に流れ込む川づたいに拓けて行く。ここでは、仁井田川に沿って拓けて行ったことが判る。 それというのも、今回訪ねる、恵日寺も薬王寺も長隆寺もみな、仁井田川に沿っている。鎌倉時代の仏教が王侯貴族の執政の道具としての仏教から、庶民の宗教としての仏教に変わって来たのである。 川に沿った農耕による稲の採れる豊かな土地に寺院が建てられるというのも自然な流れである。この薬王寺も仁井田川北岸の山を背にして、南に広がる水田を見渡せる高台に建てられている。 うっそうと繁る木々のみどりのトンネルを潜り抜ける。急坂な石段を登って行く。途中で一休みしなければならない。回り道で登る車道が途中で横切る。石段を登り切ると山門が迎えてくれる。 相当な高台にあると言うことは、川の氾濫の水害から逃れる意味もあるのだろう。 山門から内に入ると更に長い参道の奥に本堂がある。本堂の右に庫裏があり、拝観のお願いに行くと、すでに待っていてくれたようで、直ぐに鍵を持って出て来た。 収蔵庫は鉄筋コンクリートの防火設備の建物である。これからも国指定の重要文化財であることが判る。収蔵庫が堅牢な鉄筋コンクリートであるということは、国指定の重要文化財であるという証しである。国の補助金を利用して建てたのである。千葉県、茨城県、埼玉県、福島県と地方の国指定の重要文化財を拝観して来て、いくつかの事柄が判って来ました。 一つは、保存は堅牢な鉄筋コンクリートの収蔵庫で護られている。 二つ目は、独立した建物になっている。多くの場合はこの方式である。併設した場合には、防火壁で他の建物と完全に仕切られる。奈良・吉田寺や安部文殊院などがこの方式である。 三つ目は、建物は多くの場合、本堂の真後ろに建てて、本堂を拝礼した時に併せて、拝礼出来るようにという配慮なのだろう。地形的に無理な場合には離れたところに建てられている事もある。 四つ目は、日頃の保守管理は所蔵寺院でするのだが、その他の拝観時のパンフレットや境内、収蔵庫前などの解説の看板等は、地方自治体の教育委員会で行うようである。 ここで問題にしたいのが、地方自治体である。平成の大合併でこの教育委員会もとても、細かな文化財の保護などに人手が回らなくなっている。 大きないわき市で四倉町の文化財には、いわき市教育委員会では関心がないものと見得る。いわき市教育委員会名の入った解説板を一度も見ないのも偶然ではないのであろう。 これほどまで無関心な自治体もない。地元の文化財に対して、愛着も尊敬も感じられない。今まで何の文化財保護をして来たのだろうか。いわき市のホームページの文化財のページを観て見ると判る。 平成27年5月、第八十八回「仏像観て歩き」いわきで訪問した。 前回は、下に車を止めて、石段を歩いて登ったのだが、今回は脇道から上まで車で上がってしまった。 本堂の真裏に建てた鉄筋コンクリート造りの収蔵庫の中に入れて頂いた。高床式の収蔵庫で、機械警備をしているのだろう。 |
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薬王寺所蔵仏像 |
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