仏像彫刻史の中で、清凉寺式釈迦如来立像というのは、一時代を代表する作風であります。
西大寺の叡尊さんが、善慶に命じて京都・清凉寺の釈迦如来立像を模刻させて、以来、その西大寺像を模刻するという風にして、西大寺系列の末寺に広がって行きました。鎌倉時代以後の釈迦如来像の主流を成した作風です。
ここで清凉寺式釈迦如来立像の必須条件を考えて見たい。
1. 立像である。
2. 通肩である。
3. 右手は与願印で左手は施無畏印である。
4. 胸から腹に掛けての衣文線が同心円である。
5. 股間の衣文線がY字形である。
6. 両脚の衣文線は、さざなみが岸に寄せるように太腿から下に落ちている。
7. 足元のころもが三段になっている。
以上の条件を満たしたものを清凉寺式釈迦如来立像という。
こんな風に、清凉寺式釈迦如来立像を規定して拝観して来ました。
奈良・西大寺、奈良・唐招提寺、滋賀・西明寺、神奈川・称名寺、そして、今回の大円寺の清凉寺式釈迦如来立像である。
私の勘違いで、西大寺の善慶像が先と思っていましたが、こちらは1193年、西大寺は1249年である。50年余違って、早く造られています。
不思議なことに、西大寺像は清凉寺像に似て、どこか異国的な雰囲気を残しているが、古い大円寺像が和風なお顔である。
ここの五百羅漢像に大火との深い関係があったと知ったことで、改めて手を合せたのであった。そして、その奥に釈迦堂があり、ガラス張りのお堂の中に安置されている。
ガラス張りのお堂は何処でもそうであるが、ガラスに光が反射して見難い。そこで、光を遮る為に手を当てたり、手持ちの紙を丸めたりして拝観する。余り格好の好い拝観風景ではない。それに同じ部屋で謦咳に触れるという訳にはならないのが残念である。
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