仏像名

ふりがな やくしにょらいざぞう

武蔵国分寺
制作年代

重文
平安時代

薬師如来坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
漆箔

樹 種

像 高

179cm

製作者

安置場所

薬師堂

開扉期間

解 説

 国分寺薬師堂に安置されている木造薬師如来坐像は、国分寺創建当時に僧行基によって造立されたと言い伝えられていましたが、大正三年(1914)当時の国宝に指定されたときに、鎌倉時代の作とされました。しかし、その後は彫刻の特徴などから平安時代末期の作であろうといわれています。
 像は寄木造、彫眼、漆箔。高さ191cm。右手は与願印、左手に薬壷を持ち、蓮華坐上に結跏趺坐している。半丈六の像です。現在は国指定重要文化財です。
 厨子は江戸時代のもので、また光背、台座、薬壷も江戸時代に補われたものです。寺の縁起には、元弘三年(1333)新田義貞が鎌倉へ攻め上る途中、鎌倉軍と戦った分倍河原(府中市内)の戦いに巻き込まれ、寺が焼失したときに、自ら逃げ出し無事であったと書かれています。
 現在は毎年1010日に開帳(寺院、神社の秘仏、秘宝を一般公開すること)していますが、江戸時代にはほぼ33年に1回開帳を行い、江戸でも開帳を行い多くの信者を集めました。
 両脇の日光・月光菩薩像は室町時代の作であろうといわれています。また、十二神将像は江戸時代元禄二年(1689)の墨書銘がその胎内から見つかっています。
「国分寺市の文化財」より 2010年

私 の 想 い

 平成22年10月10日のご開帳日に併せて、第三十七回「仏像観て歩き」で訪問致しました。
 お厨子に本尊の薬師様が安置され、両脇に向かって右に日光、左に月光菩薩を従えている。
 薬師如来像及び両脇侍像の薬師三尊像と呼ぶ。この三尊像は左右対称形の三尊形式をしております。三尊に向かって両脇侍が、本尊の内側の腕を伸ばし、外側の腕を折り曲げた姿をしています。
 そこで私は、薬師三尊像左右対称内伸形と呼んでいる。薬師三尊にも、阿弥陀三尊にもこの形態は多い。薬師三尊像の国宝では、福島・勝常寺、京都・醍醐寺などがあり、阿弥陀三尊像の国宝では、岩手・中尊寺の三代の基壇共に、重文では、神奈川・浄楽寺などがある。三尊形式の仏像を拝観する時の楽しみの一つにしている。
 右手は肘を右太ももに着けV字に曲げ、手の平を正面に向け施無畏印である。左手は肘をL字に曲げ、手の甲を左ふくらはぎに着け手の平に薬壷を乗せる。中指、薬指の二本の指を立て、薬壷が転び落ちるのを防ぐ。
 日光菩薩像は、右手は蓮華の茎の元を握り、右腰の前で持つ。左手は肘をV字に折り、茎の中ごろを握って持つ。
 月光菩薩像は、右手は肘をV字に折り蓮華の茎の中ごろを持つ。左手は左腰の前で茎の元を握って持つ。腰を右に寄せ、左脚の膝を浮かす。

日光菩薩立像 像高約90cm 木造、漆箔

月光菩薩立像 像高約90cm 木造、漆箔

「私の想い」
 ご開帳日に境内で防火の呼びかけをしながら、ビラを配っていた国分寺消防署の署員が居た。直ぐ近くなので、緊急出動の体制は何時でも整っているとのことである。これは署員に聞いて判ることではないが、何処の県でもそうであったが、国指定の重要文化財は堅牢な鉄筋コンクリートの建物で、耐火建築の高床式の収蔵庫に納まっていた。ところが、この薬師堂は、普通の木造建築である。署員は、外には放水銃を備えているという。
 個々の寺院に依って、耐火の建物に入れたり、そのままで在ったりと対応が違うのも面白い。いずれにしても、信心も拝観も出来ることで、仏様が快適な設備で在って欲しいものである。
 国分寺消防署員に奈良・吉田寺や奈良・安部文殊院の収蔵庫の建て方について解説してしまった。それで思い出すのは、吉田寺の奥様が本堂から表に廻って、説明してくれたことである。建ててから、暫くの間、全国から寺院関係者が見学に来たという。それというのも、本堂の奥に隣接して収蔵庫を建て、本堂と収蔵庫を防火壁と防火扉で遮断する。重文の本尊や脇侍を収蔵庫に安置し、僧侶や信者は本堂から収蔵庫の本尊を拝めるという。吉田寺の翌日訪問した安部文殊院で早速、この建物様式に出会ったのには驚いた。別な方法では、本堂の真後ろに収蔵庫を建てる。棟続きでは無いが、別の建物ではある。しかし、本堂の正面から拝むと、収蔵庫にも通じるというものである。大概はこの建て方である。神奈川・浄楽寺などもこの方式だ。

薬師如来坐像画像一覧その1
薬師如来坐像画像一覧その2
薬師如来坐像画像一覧その3
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月光菩薩立像画像一覧
十二神将像画像一覧
薬師如来坐像
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