仏像名

むそうこくしざぞう

古長禅寺
制作年代

重文
鎌倉時代

夢窓国師坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、彩色、
玉眼、

樹 種

像 高

82cm

製作者

安置場所

本堂

開扉期間

解 説

夢窓国師と甲斐
 夢窓国師は伊勢(三重県)に一二七五年に生まれた。弘安元年(1278)四歳の時、一家は甲斐に越して来られ、この年八月、母は不幸にも病いで亡くなった。国師は母の菩提のため、九歳で平塩山(市川大門町)の空阿大徳和尚のもと出家されて、名を智霍(チカク)と改め、天台宗の教義を学び、のち禅に帰し、仏国国師の法を相続された。
 永仁二年(1294)京に上って南禅寺、鎌倉の円覚寺の住持になった。当寺に留錫されたのは一三一六年、国師四十一歳の時である。甲斐に開山された寺院には、古長禅寺のほか、恵林寺、清白寺、法泉寺などがあり、京都には天龍寺、西芳寺などの名刹がある。
 国師はまた書道、造園にも卓抜した才能を発揮され、古長禅寺のほか、恵林寺、宝寿院、浄居寺など数多くの作庭をしている。
 門下一万三千人とも伝えられる夢窓国師は、単に天皇家から七朝帝師の尊称をもって敬崇されただけでなく、広く人々から師として慕われ、南北朝という混乱の世に人の道を示された偉大な禅者(一無位の真人)であった。
 古長禅寺には、国師の御遺跡として、心字の池と仮山(県史跡)、国師お手植えのビャクシン等がある。
「瑞雲山・古長禅寺」縁起より 2012年

私 の 想 い

 本堂の中央には金ぴかな本尊が在ったのだが、右隅に安置された夢窓国師坐像の前に立つ。静かに座っていた。お顔の小さな人である。
 両手を右脚前に組上げた座禅の上に、右手の平の上に左手の平を重ね、両親指同士を更に重ねる。三重層である。両手首から先だけが露出している以外は、衣に隠されている。山梨の冬は厳しい冷え込みであるから、こうした格好で修行するのだろう。風貌からも庭師の風格があるのも判る。

夢窓国師坐画像一覧
夢窓国師坐
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