会津北部の喜多方市に、金色に輝く「会津大仏」で知られた名刹がある。色とりどりのアジサイが美しい寺として知られている。開山を、浄土宗多念義派の祖隆覚とする。
法然入滅後の嘉禄三年(1227)、浄土宗への弾圧が頂点に達した嘉禄の法難で、法然の高弟だった隆覚は、陸奥への配流が決まった。配流の途中、高齢の隆覚は相模(神奈川県)で病歿したので、その弟子の実成が、師の遺骨を配流先の会津加納庄松原に葬って一寺建てたという。これが願成寺である。福島県に、はじめて浄土宗の寺が建立された。
戦国時代は荒廃していたが、江戸初期の寛文五年(1665)、第27世の行誉がやや南の現在地(上三宮)に再興した。このとき山号も叶山と改め、ほぼ今、見るような伽藍を整えた。
「会津大仏」として親しまれる本尊阿弥陀如来坐像は、一見、胴部に対して頭部が大き過ぎるように感じるが、これはあらかじめ真下から拝されることを意識して造られたもので、脇侍の観音・勢至菩薩とともに、往生者をまさに迎えんとする来迎の姿を表わしている。
中尊の光背全面に着けられた千体仏のうち、下部の150体ほどが欠けている。これは戦争中、戦場に赴く地元の人が御守りとして身に着け、無事に生還すればもとに返したというから、欠落は帰らぬ兵士の数を表しているのだろうか。
「古寺をゆく 勝常寺と会津の名刹」より 小学館 2001年
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