その昔、まだ常磐自動車道のない時代に、埼玉の浦和市から常陸太田に行くのに、東北自動車道で鹿沼ICまで行って、茂木、御前山、常陸大宮を通って常陸太田まで行った。4時間か、5時間は掛かったのではなかったか。食品スーパーがホームセンターを開くことになり、そのお手伝いをしたのである。実際にお店のオープンまでには、二年位はあったのではなかったか。細かい事は忘れてしまった。
那珂川の橋と土手沿いの道と那珂川の簗と御前山という地名を思い出す。城里町は那珂川沿いの街である。
前にも書いたが、古い案内板のままである。如何に文化財の管理が、市町村の教育委員会任せになっているのかと、その担当者に任されているかが判る。
同じ案内板であるが、旧市町村名でされているものを許せるか、許せないかの感覚は、人に依ってまちまちである。マサに担当者に依ってまちまちである。
この場合で言えば、薬師三尊は国の重要文化財、十二神将は町の重要文化財で案内板のお金の出所が違うというでしょう。とわいえ、最後のところは文化庁でなく、常北町になっている。せめて、常北町を城里町に書き換えるくらいのことは在って好い。
今日、私は新たな発見をしました。十二神将の案内板の最後は、城里町教育委員会になっている。しかも、新しく其処だけを張り替えているのである。城里町の担当者は、書き換えないといけないと思っていたのである。だが、それは城里町の権限の範囲に止まっていたのである。国の重要文化財にまでは、手が出せなかったのであろう。
更に情けないことも判ったのである。本来、十二神将は薬師如来を守るために存在する仏像である。ところが、同じ収蔵庫に入れてもらえず、別の場所(見ていないので、)多分、本堂のどこかで、待機しているのでしょう。
この別に保管している問題は、寺の問題なのか、行政上の国の文化庁なのか、茨城県なのか、城里町の問題なのか不明だが、本来は、同じ場所で御守りするのが筋というものである。
何だか、行政上の権限やお金の出所や行政の不備が垣間見える「仏像観て歩き」の感がするのである。しかし、肝心な事は広く文化財の存在を知ってもらうということです。
奈良、京都に負けない仏像が郷里に存在することを多くの人に知ってもらうことです。そのための方策をいろいろ考えて欲しいと思います。
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