臨済宗円覚寺派大本山、瑞鹿山。正式名称・瑞鹿山大円覚寺。北条時宗が宋の高僧無学祖元(仏光国師)を招いて開山。二度にわたる元寇の戦没者慰霊のため創建。
「寺社・仏像ガイド 美術手帳 2001年 美術出版社より」
瑞鹿山大円覚興聖禅寺
わが国はおよそ七百年前、文永・弘安の二度にわたる蒙古軍の来襲という空前の国難を迎えた。時の執権北条時宗公は、かねてより深く禅に帰依し、弘安の役のさなかにも、中国から招いた無学祖元(仏光国師)を師として、日夜参禅に励んでいた。
国を挙げてこの難敵に当り、蒙古の大軍を撃退した時宗は、文永・弘安両役に殉じた彼此両軍死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅道を弘めたいと願い、且つその師仏光国師への報恩の念から円覚寺の建立を発願した。この地から石櫃に入った円覚経を掘り出したことによるといわれている。
開山の法灯は高峰顕日(那須雲厳寺)、夢窓疎石(天龍寺)と次第し、世に「仏光派」と称された。殊に夢窓は南北朝「七朝の帝師」といわれ、その門流は室町時代にわが国禅界の中心的勢力を形成した。
数度の大火に遭い、衰微したこともあったが、江戸末期に中興の誠拙和尚が出て、伽藍を復興し、現今の円覚寺の基礎を固め、修行者に対して峻厳をもってし、宋風の刷新を図った。明治には今北洪川・釈宗演の師弟のもとに雲衲や居士が参禅し、関東禅界の中心となった。居士林における坐禅会は古い歴史を誇り、秀れた人材を打ち出した。
首都圏各地からの交通の便に恵まれ、静かな境致と相まって、各種の坐禅会・夏期講座など多くの人々に親しまれ、「心の寺・円覚寺」と呼ばれ、訪れる人々に深い心の安らぎを与えている。
山内に十八ヶ寺の塔頭(支院)があり、近末には浄智寺・瑞泉寺・大慶寺がある。
「円覚寺 縁起」より 2008年
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