源頼朝の菩提を弔うために、妻・北条政子によって正治二年(1200)に創建された、鎌倉でも古い寺。開山は明庵栄西。臨済宗、鎌倉五山第三位。
「日本の仏像 高徳院鎌倉大仏と鎌倉の古仏」より 講談社 2007年
気持ちよく掃き清められた参道に広がる静寂。中央に敷かれた幾何学模様の石畳が、まっすぐ中門に視点を結ぶ。源氏山の濃い緑を背景に鎮まる寿福寺は、正式名称を亀谷山寿福金剛禅寺という。
源頼朝が没した翌年の正治二年(1200)頼朝の正室で尼将軍の異名をもった北条政子が、頼朝の父である義朝の邸宅のあったこの地に明庵栄西を開山として建立したという。後に鎌倉五山第三位に数えられた。
中門から奥の境内には立ち入れないが、開いた門越しに仏殿や、鎌倉十名木にも数えられる柏槙の古樹が植わる庭を眺めることができる。また、中門左手から小径を行けば、墓地に出る。いちばん奥のやぐらの中には、北条政子と、悲劇の三代将軍実朝のものと伝わる五輪塔二基が残る。
本尊は、文殊と普賢両菩薩を脇侍とする、乾漆の宝冠釈迦如来像で、籠釈迦とも呼ばれる。また、頭から足元の蓮台まで、一木で造られた珍しい地蔵菩薩立像(重文)などの寺宝が伝わる。
「古寺を巡る 建長寺」より 小学館 2007年
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