トップページに戻る。
仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 神奈川編

名  称

ふりがな

じゅふくじ

寿福寺

俗称又は愛称

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7

最寄駅

JR横須賀線
鎌倉駅

開  祖

沿  革

 源頼朝の菩提を弔うために、妻・北条政子によって正治二年(1200)に創建された、鎌倉でも古い寺。開山は明庵栄西。臨済宗、鎌倉五山第三位。
「日本の仏像 高徳院鎌倉大仏と鎌倉の古仏」より 講談社 2007年

 気持ちよく掃き清められた参道に広がる静寂。中央に敷かれた幾何学模様の石畳が、まっすぐ中門に視点を結ぶ。源氏山の濃い緑を背景に鎮まる寿福寺は、正式名称を亀谷山寿福金剛禅寺という。
 源頼朝が没した翌年の正治二年(1200)頼朝の正室で尼将軍の異名をもった北条政子が、頼朝の父である義朝の邸宅のあったこの地に明庵栄西を開山として建立したという。後に鎌倉五山第三位に数えられた。
 中門から奥の境内には立ち入れないが、開いた門越しに仏殿や、鎌倉十名木にも数えられる柏槙の古樹が植わる庭を眺めることができる。また、中門左手から小径を行けば、墓地に出る。いちばん奥のやぐらの中には、北条政子と、悲劇の三代将軍実朝のものと伝わる五輪塔二基が残る。
 本尊は、文殊と普賢両菩薩を脇侍とする、乾漆の宝冠釈迦如来像で、籠釈迦とも呼ばれる。また、頭から足元の蓮台まで、一木で造られた珍しい地蔵菩薩立像(重文)などの寺宝が伝わる。
「古寺を巡る 建長寺」より 小学館 2007年

私 の 想 い

 今年は全国に先駆けて、東京と鎌倉が染井吉野の開花の先陣を斬った。3/26のことである。開花日から10日を過ぎたのであるが、まだ、満開である。
 第6回の「仏像観て歩き」は、4名の女性を加えて、今日は総勢9名の参加を得て、鎌倉に行くことになった。丁度、これ位の人数が適当かもしれない。
 第1回は台風並みの風雨の荒天であり、第2回は冬の寒い雨と来て、雨に見舞われるという波乱の船出となった。しかし、その後、回を重ねる毎に、好天に恵まれ、今日はうららかな春を満喫する日和になった。
 鎌倉駅から鶴岡八幡宮の参道ではない、横須賀線の線路西側の道を北鎌倉方向に行く。住宅街の庭には、木蓮、蘇芳、椿、桜、石楠花、雪柳等の花が咲き出している。線路が迫って、踏切が近づいたところの左側に寿福寺がある。
 山門から中門までは長い参道になっていて、両側には大木の木々が参道に被さるように覆う。中門から中には入れないが、中には大木の柏槙が植えてある。
 本堂の左側を山に向って、北条政子と実朝の墓に行く。山に開けた穴の中にその墓はあった。いわゆる鎌倉で言う矢倉の中にあった。この寿福寺から源頼朝の墓までは2、3kmある。夫人に天下を執るための政略結婚に利用され、死後は一人離れた場所に葬られている。

寿福寺画像一覧その1
寿福寺画像一覧その2
寿福寺画像一覧その3
寿福寺花華一覧その1
寿福寺に戻る
寿福寺所蔵仏像
薬師如来坐像
地蔵菩薩立像
栄西禅師坐像
寿福寺に戻る