古寺巡礼
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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 神奈川編

名  称

ふりがな

すぎもとでら

杉本寺

俗称又は愛称

神奈川県鎌倉市二階堂903

最寄駅

開  祖

沿  革

 当山は天平六年(734)の春、光明皇后の御願により大臣藤原房前と僧行基(行基菩薩)に命じ堂宇建立し行基自ら刻むところの十一面観世音を安置された。
 次に、仁寿元年(851)僧円仁(慈覚大師)当山に参籠して十一面観世音を刻み安置し、また寛和二年(985)僧願心(恵心僧都)が花山法皇の命により十一面観世音を刻み安置し、併せて坂東第一番の札所と定め、法皇自ら御順礼有り、夫れより今日に至るまで貴賎の順礼絶えず。
 時に文治五年十一月二十三日の夜、隣屋より火災が起り、類焼の際、本尊三体自ら庭内の大杉の下に火をさけられたので、それより杉の本の観音と今日迄呼ばれたと「吾妻鏡」は伝えている。
 その後、建久二年九月十八日に源頼朝公御堂再興せられ、古今の奇瑞に帰依し賜い供養の日に、上の三尊像を内陣に安置し別に今前に立ち賜う立像七尺の十一面観音世音を寄進されたものである。
 なお、昔より本尊の賞罰の数ある中に放逸の輩、信心なくして御堂の前を馬にて乗り打ちする者は必ず落馬すると云うので、当時は下馬観音と云った。
 時に建長寺の開山大覚禅師がこの観音堂に参籠し、尊像を拝し祈願し禅師が所持し賜う袈裟を以て、行基菩薩御作の慈眼を覆い奉り、夫れより覆面観音と号し、往来の不浄は彼の袈裟により落馬等の利罪も止むと云う。依て頼朝時代より秘仏とされたものである。
「鎌倉最古仏地 天台宗大蔵山 杉本寺」縁起より 2008年

私 の 想 い

 道路から急な石段が続く。石段を登ると仁王門がある。仁王門から更に急な石段を登り切ると本堂に着く。本堂は茅葺き屋根のお堂である。
 本堂の中に入ると中は、ろうそくの明かりだけになり、薄暗い空間である。

杉本寺画像一覧その1
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杉本寺所蔵仏像
十一面観音立像1 十一面観音立像2
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