仏像名

11めんかんのんりゅうぞう

海龍王寺
制作年代

重文
室町時代

十一面観音立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

92cm

製作者

安置場所

本堂

開扉期間

解 説

佐保路の三観音として、この海龍王寺の十一面観音、不退寺の聖観音、法華寺の十一面観音の三観音を言うのだそうである。
 天平時代に光明皇后が自ら刻まれた観音像をもとにして鎌倉時代に慶派の仏師により造られた当寺の本尊。
 昭和二十八年まで秘仏となっていたために保存の状況が極めて良好で全身の金泥や精微を極めた装身具を製作当時のまま残している。
 秘仏であった名残で普段、厨子には戸帳が掛けられて全身を拝む事は出来なかったが、今回初めて戸帳が取り外されて金泥の美しい全身が一般に公開される。
「佐保路の三観音」案内より

私 の 想 い

 右手は脇を開けて、肘をくの字に曲げて、下に降ろし手の平を左前方に向けている。左手は脇を少し開け、肘を折り前に出して水瓶を握る。水瓶の底が見える位に底の方を前に出して持つ。
 腰を左に寄せ、右足の膝を軽く曲げて、浮かそうとしている。秘仏が永い事続いたので金箔が残る。五段蓮弁の蓮華台に立つ。
 端正なお顔の十一面さんである。腰からいろいろな装飾品を垂れ下げて着飾る。この方のこの眼で見られたら、心臓が止りそうである。高校生の頃に、美人の好きな彼女に道で擦れ違う時に、こんな思いをしたような気がする。品格のある十一面観音立像である。
「佐保路の別嬪さん」
と呼ばせて戴こう。
 海龍王寺で頂いたパンフレットに、同じ十一面観音立像で、ここの十一面さんと法華寺の十一面さんと、白亳寺の聖観音さんの三像が、写真入で紹介されていた。
 この三像の内で法華寺の十一面さん以外は、いずれも、今回が初めての対面であった。聖林寺や観音寺や室生寺や道明寺は、国宝であるが、この二つも重文であり、立派な仏像である。そのために、この二つの寺も巡礼の中に含めたのだ。
 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 今回の旅の副題に「十一面観音像」を拝観するということが入っている。両極の十一面観音像を拝観した後である。何に極と名付けようか。
 水瓶を持つことで充分なのに、体中に装飾して着飾る。何も飾らなくても美しいのに、更に装飾品を身に着ける。世の中にこんな美人をよく見掛ける。着飾り過ぎということもある。根が貧乏なためか、どうもこのように着飾った御婦人には縁遠い。そんな根性が根に在ってか、中々美人十一面観音像なのに、近寄れないものがある。
 十一面観音像の魅力の源泉は何だろうか。と考えるが、書いてしまうと詰まらなくなるので、ここでは止めて置きます。装飾品を身に着けないこの十一面観音像が想像出来るまで通い詰めてから論じることにします。人と一緒で其処に在る。
 もう一つ、私の中に拘りがある。仏像の創作年代である。飛鳥時代から鎌倉時代後期までと思っている。それからすると一時代後になる。
「何故、拘るのか。」
と聞かれて、すうっと答えは出ないが、あえて言うなら、
「現に違うでしょう。」
と答えるしかない。何となく違うのだ。時代の美的感覚とでも云うべき視点かもしれない。華美なのだ。
 そんな中で、酒飲みが甘いものは別腹という論法で、美人は別なはずである。
しかし、
「佐保路の別嬪さん」
を私の中で好きと云わせるまでに、もう少し時間が掛かりそうである。第何極になるのだろうか。

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