右手は脇を締めて、肘を折って前に出し手を握っている。左手は脇を締めて、肘を折って前に出し蓮華の茎を握る。茎の先に赤く咲いている。
腰から下の長い脚線美の方である。衣文も縦に流れ、足の長さを強調している。長い振袖を着ている。
お顔の小さい首もある美人の文殊さんである。本尊同様に美人の姉妹とでも言っておこう。維摩居士さんは居らず文殊菩薩だけである。
平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
胸のところを良く観ると甲冑を着ている。武人である。解説では帝釈天像として造られたとある。寺では文殊菩薩として祀っている。
文殊菩薩は本尊の釈迦如来の左脇侍として三尊形式の時に存在する。帝釈天は本尊の右脇侍として存在する。そうすると、右に祀っていた帝釈天を、左に祀つる文殊菩薩にしたことになる。
秋篠寺では、梵天、帝釈天を日光、月光に転用して祀っている。この場合は、元々が左右対称形に造られていないので、どちらが左右になろうが、関係ないかも知れない。転用でもっと身近で、有名なのが、奈良・東大寺法華堂の日光、月光も秋篠寺と同じ形式の梵天、帝釈天からの転用である。
京都・清凉寺では、帝釈天を普賢菩薩に転用している。この場合は、帝釈天は象に乗ることもあるし、普賢菩薩は象に乗ることもある。象と象で問題はない。更に、対の相手の文殊菩薩は獅子に乗っている。
仏像の場合は、尊像名により持物や乗物や姿勢や髪型や服装等がある程度決まって来るので、転用が制限されて来る。そうでなければ、千数百年の年月の間にもっともっと、転用が在って良い筈である。
それにしても、単独である帝釈天も不可思議だが、それを文殊菩薩に転用するのも不可思議である。いや、単独だから、文殊菩薩にして祀り、文殊菩薩に寂しい思いをさせないための止むを得ない事情があるのだ。文殊菩薩は単独もある。無理やり、経巻を持たせたらどうかと考えたが、縦に握った手に経巻はない。経巻は地面に平行に持つものだ。
本来は縦に握った手で、戟に剣を左右に持っていたものを、左手に蓮華の華を持たすことで文殊菩薩に仕立て上げたのである。アリバイ作りである。半分、納得しました。
私は、如来や菩薩を女性に仕立て上げるのも得意である。前文では完全に女性にしてしまっている。
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