仏像名 |
しょうかんのんはんかぞう |
長岳寺 制作年代 |
重文 平安時代 |
|||||
聖観音半跏像 |
||||||||
様 式 |
仁平元年(1151) |
|||||||
俗称又 は愛称 |
|
製作材質 |
木造、玉眼 漆箔 |
樹 種 |
|
|||
像 高 |
106cm |
製作者 |
|
安置場所 |
本堂 |
|||
|
開扉期間 |
|
||||||
解 説 |
||||||||
この像は、その中尊たる阿弥陀如来坐像胎内に仁平元年(1151)、の銘を有する事で美術史上極めて貴重である。 すなわち藤原末期の作でありながら、早くも玉眼の手法を用いているばかりか、像全体から、うかがわれる藤原調の退潮が、つい近くに鎌倉様式が待受けている事を証明して、時代末期の様式漸移を味わうのである。 「日本彫刻美術」 鹿鳴荘刊 編集小林剛、松本楢重 1966年より |
||||||||
私
の 想 い |
||||||||
右手は脇を開けて肘を折り、前に出して手の平を横に立てて、小指の付け根を膝頭に着けて指を伸ばしたままである。 左手も脇を開けて、肘を後ろに引き気味に左太腿に着けてVの字に曲げ前に出して、人差指を伸ばして上に立てる。影絵でするキツネの形である。 右足を半跏に組み、左足を蓮華台から下に垂らしている。両足の親指を反らしている。半眼に開けた眼から玉眼の眼が光る。 平成29年9月に東京国立博物館で「運慶展」が開催されました。運慶の親や息子達の鎌倉時代慶派一族の仏師の作品が集められた展覧会がありました。 阿弥陀三尊像を考える時、本尊の阿弥陀如来像を中心にして、左右の脇侍像が左右対称 形になって居るかどうかである。上半身像の左右の腕や手は、対称形にはなっていない。むしろ、左右同形である。しかし、首から頭頂に向かっては、聖観音像が向かって左側に、勢至菩薩像が向かって右側に首を傾けている。つまり、全体的には脇侍像の頭は、内側の本尊像の方に傾けているという事である。阿弥陀如来様に頼っているようにも観える。 そして脇侍像は半跏にして、台座から左脚を踏み垂らしている。踏み垂らした左足の親指を上に撥ね上げて内心の力を表現している。何に不満が在るのか、それとも心に葛藤する事が残っているのだろうか。聖観音像が左脚を踏み降ろし台座から垂れ下げている。反対側の勢至菩薩像は、右脚を踏み降ろし台座から垂れ下げている。この姿は左右対称形である。 |
||||||||
|
|
阿弥陀如来坐像 | 勢至菩薩半跏像 | 聖観音菩薩半跏像 |
増長天立像 | 多聞天立像 |