仏像名

ふりがな ぼさつはんかぞう

中宮寺
制作年代

国宝
飛鳥時代

菩薩半跏像(伝如意輪観音)

様 式

俗称又は愛称

如意輪観音と呼ばれている。

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

87cm

製作者

安置場所

開扉期間

解 説

 この像は、寺伝では、如意輪観音とよばれているが、如意輪観音像が信仰されるようになったのは、平安時代からのことなので、あるいは弥勒として造られたものではないかと考えられている。
 この像については、伝来を記した文献が残っていないが、微笑を浮かべた唇、長い耳、蕨手の垂髪、同じ衣皺を繰り返した裳、百済観音の光背に良く似た宝珠形の光背等は、いずれも、飛鳥時代の特色を持っているところから、当代彫刻の一つに数えられている。
 樟木材の彫刻で、当初は、金箔を押したものと思われるが、今日では全身、下地の黒漆の色になっている。また、初めは、宝冠、胸飾、環釧等には金銅透彫りの金具が着けられていたものであるが、今日では、わずかにその痕跡を留めているに過ぎない。
「日本の彫刻 上古〜鎌倉」 美術出版社 1966年より

 法隆寺の隣にある中宮寺の本尊である。こうした姿の像は、半跏思惟像と呼ばれ、悉多太子(釈尊の太子時代の名)が、瞑想にふけっていた時の姿を彫像に写したものという。寺では、今日この像を如意輪観音として信仰しているが、如意輪の信仰は平安時代からのことで、七世紀当初には無かったはずである。そのため、あるいは弥勒として制作したものではないかとも云われているがよく判らない。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想 い

 初めての出会いは高校生の時であった。セーラー服姿の女学生に憧れていながら、出会っても声を掛ける勇気がない。そ知らぬ振りして通り過ぎる。心では声を掛けようか、向こうから声を掛けてくれないかと、激しく葛藤している。
 若き心の恋への憧れは、清浄無垢なこの仏様の姿に代表される。初恋の乙女のように初々しく、高校生にとっては、仏像ではなく生身の人間であって欲しいと願わずに居られない。
 乙女の美しさに感激し、恋をする相手がこの仏様のような人であって欲しい。この仏様ののような人と恋をしたいと若き心は高ぶる。
 この如意輪観音像の前、直ぐ近くで拝観出来た。しかし、現在は拝観者も多くなって、その距離が離されてしまった。
 秘仏の仏像が、色彩的に美しさを保っているのは、やはり、光や外気や埃から遮断されているからである。この像をこれからも現在の姿で残そうとするためには、ある程度の拝観者との距離を置く事も止むを得ない。
 この如意輪観音像が今日まで、「仏像観て歩き」を続けさせてくれた、きっかけの仏像である。高校三年生の修学旅行で拝観したのが最初である。「唐招提寺」の講堂で拝観した如来形立像とこの如意輪観音半跏像が仏像をここまで好きにさせてくれたのである。
 この如意輪観音半跏像を最初に観たときには、「モナリザ」の微笑と同じような、微笑をたたえた仏像もあるものだということと、同年代の少女をモデルにしたような仏像であり、何よりも「愛くるしい」容貌に一コロである。電気ショックを受けたような衝撃で、一辺にこの如意輪観音半跏像に恋心を抱いてしまったのである。
 そして、平成17年3月に突然、東京国立博物館にやって来た。どうも、察するに定期健康診断を受けに、わざわざ東京までお越しになったのではないか。何はさて置き、早速にお会いした。
「相変わらず、お若くて、お美しい」
とお声を掛ける。
「ありがとう。最初にお会いしてから、何年になります」
だと。
「嬉しい。覚えていてくれましたか。最初が昭和36年の春です」
と答える。
「そう。そうするとあれから、もう44年が経つのね」
「そうです。最初の時は、確か前に廊下が在った建物でしたが、思い違いかも知れませんが、そんな気がしますし、廊下の障子越しにも拝見したような気もします」
と昔話をする。
「そうでしたかね」
「廊下に出て、白い障子と漆黒のあなた様が私の頭の中にはあります」
というと。
「そうかな」
だと。
「2度目に拝見した時には、鉄筋コンクリートの建物にお入りしておられました。東京では、四月17日までの間、上野の山の桜を堪能されて、お帰り下さい。折角東京にお越しですので、もう一度、近日中に拝見に来ます」
といって、帰って来ました。

如意輪観音菩薩半跏像その1
如意輪観音菩薩半跏像その2
如意輪観音菩薩半跏像その3
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如意輪観音の考察