古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編4

名  称

ちゅうぐうじ

中宮寺

俗称又は愛称

生駒郡斑鳩町法隆寺326

最寄駅

JR関西線
法隆寺駅

開  祖

沿   革

 中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中心にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺であります。
 その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として、残って居りましたのを、先年発掘調査しましたところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは丁度法隆寺旧地若草伽藍が、四天王寺式であるのに応ずるものと云えましょう。
 しかもその出土古瓦は若草伽藍にはなく、飛鳥の向原寺(桜井尼寺)からのものと、同系統のものであることは、法隆寺は僧寺中宮寺は尼寺として、初めから計画されたものと思われます。
 国宝弥勒菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)は、その金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は、その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えております。
 その後、平安時代には寺運衰退して、宝物の主なものは法隆寺に移され、わずかに草堂一宇を残して、弥勒像のみ居りますと云った状態でありましたのを、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、いくらか復興を見たものの、往時の盛大には比すべくもありませんでした。
 室町時代のことは、ほとんど判りませんが、旧地より室町時代の古瓦を出土することから、その頃まで旧地に法燈が続いていたようであります。
 ところが、戦国時代に入って火災に会い、取り敢えず法隆寺東院の山内子院に避難し、旧地への再建ならず、そのまま住みついていたところへ、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王(慶長七年没)が御住職遊ばされ、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが、今の中宮寺であります。
 宗派は、鎌倉時代頃は法相宗でありましたが、その後真言宗泉涌寺派に属し、戦後は法隆寺を総本山とする聖徳宗に、合流することになりましたが、依然大和三門跡尼寺の隋一として、その伝統を伝えております。
 我国の尼寺の数は少なくありませんが、創建の飛鳥時代このかた千三百余年の永きに亘り、尼寺の法燈を続けておるのは、日本広しといえども実に、中宮寺だけであります。「中宮寺拝観のしおり」より

 法隆寺の影になった感じであるけれど、見落とせない寺である。この寺との出会いは、修学旅行の時が最初である。化学教科の羽鳥先生が、法隆寺で自由時間があったらば、是非、足を延ばして中宮寺へ行って来なさいと云われ、旅行中一番その時間を楽しみにしていた。はたして、その自由時間を得て、中宮寺へと走った。
 そして、本尊の如意輪観音とご対面したのです。羽鳥先生の話した通りの清純な美少女が座っていた。実際に観て驚いた。仏像と云うものは、怖い顔のもので、飛び上ったり、跳ね上ったりしたものと思っていた。どの仏像を見ても、そのようにしか見えなかった。
 しかし、ここの仏様は違っていた。私の仏像感を一挙に変えるに、充分のインパクトを与えた。おや、仏像にも、怖い顔ばかりで無く、やさしい、慈愛に満ちた、お顔の仏像もあるのだと教えてくれた仏様である。
 この仏様を観てからは、国宝に関する本の写真によって、この仏様の様な、優しいお顔の仏像は他にないものかと探し始めた。だんだん仏像を知る様になり、美術全集や国宝全集等を図書館でそれらを調べ出した。
 有名な仏像を知り、寺を知り、いずれ古寺巡礼の旅をしたいものと思っていた。その先駆けを作ってくれたのが、この如意輪観音様であり、すばらしい仏像の世界に導いてくれたのです。どれだけ感謝をしてもしきれない。仏像を観る事で何が変わったのだろうか。
 仏像を見る場合に二つの見方があると思う。一つは美術工芸品として見る。もう一つは宗教の対象としての見方である。別な言い方では美術的鑑賞と精神的宗教的な心で見るの二つである。
 この二つは簡単に分けられそうで分けられない。外見を見て、中身を見ないのも、逆に中を見て、外を見ないのもどちらも良くない。また両方に気を着けながら見ていても、時によって違うのが仏像を観る時の面白いところだ。
 個人ですら、ある時は美術評論家になったり、僧侶や宗教家になったりする。いろいろな場面で両方の見方で観る事が出来るのも仏像である。
 仏像は人間を写した人である。人間を写して具体的に表現した魂の入った像である。製作者が精魂込めて造ったものであるから、人間の魂がそのまま受継がれている。生きた人間と何等変わる事がない。
 むしろ、人間の美しさを表現した完成された像であるから、仏像になっている。完成された人間を写した像であるからして、仏の道を教える仏像として、拝む者も心を預ける。
 信者に拝んでもらうには、重厚さも、荘厳さも、兼ね備えて美術品としても、立派に耐えて、信仰にも耐える仏像が仏像たる所以である。

中宮寺画像一覧その1
中宮寺画像一覧その2
中宮寺画像一覧その3
中宮寺画像一覧その4
中宮寺所蔵仏像
菩薩半跏像(伝如意輪観音) 文殊菩薩立像
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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上