剃髪して、大衣を偏袒右肩に着し、裳を付ける。左手を屈臂して掌に宝珠を載せ、右手を垂下して大衣の端を持上げ、蓮台上に立つ姿である。
両腕の大半を含めて、頭頂から蓮肉までをヒノキの一材から彫成し、内刳りを施さない。木心は、首後方にこめる。別矧ぎ箇所は、左手首先及び右手首先のみで、現在は共に後補されている。また蓮肉部は、左右足の前方(右足第一・二指を除く)、右側面裳裾前、背面の一部以外は後補されている。
全体にすらりとした印象を与える美しい像である。瞼を厚めに作る沈鬱な表情と、右手で衣を持上げる様からは、瞑想状態から十分に抜けきれないままに立ち上り、歩み始めようとしているかのようである。
衣の端を取る表現は極めて珍しく、お顔は細面で奥行きが深く、鼻筋が通るという異国的なものである。このように本像には、通形の地蔵菩薩とは異なる点が認められることから、僧形で表わされた神像ではないかとする考えがある。ただ僧形神像とするのには、いま一つ確証を欠き、今後の考証に待つ必要があるものの、三室山の神に係わる像であったことは確実で注目される。
全体を一木から彫りだそうとする構造や、渦文を交えた翻波式衣文を刻み、衣の端を波打たせて質感を表現する点等から考えて、平安時代初期(九世紀中頃)の造像であろう。
「神南融念寺恵宝殿」より
現在、斑鳩町に所在する融念寺に安置されている像であるが、もとは同寺に近い三室山の中腹に鎮座する神岳神社の神宮寺(神南寺)に伝来した。
両手を除き、頭部から台座までを針葉樹の一木から彫出し、内刳りは施さない。現在、表面は木地を露出しているが、一部に白土地が残り、当初は彩色像であったことが判る。
この像はまず、右手で衣をつまむ姿に特色があるが、それによってできる衣文の自然な表現、左手に懸かる衣の立体的な表現など、柔らかな質感が巧みに表わされている。
また、胸と腹でくびれをつくる肉身の柔軟な表現も見事であり、衣端を波形に表わすことも天平彫刻の余風を感じさせる。眉をやや盛り上げて表わし、薄い唇をきりっと結んだ表情は奈良・秋篠寺の十一面観音像の面相に通じるが、鼻筋がすっと通った顔のつくりにはより異国的な雰囲気を濃厚に漂わせている。
この像も奈良・法隆寺の地蔵菩薩立像と同様に神宮寺に伝来したことから、本来僧形神像として造立されたとする説が出されている。
この像の右手で衣をつまむ姿は、明らかに通常の地蔵菩薩には見られない形であり、そこに何らかな意味が込められていることは確かだだろう。神仏習合の中で、地蔵菩薩の姿を取った神の姿として造立された可能性は考慮してよいと思われる。
「仏像 一木にこめられた祈り」展 東京国立博物館 2006年より
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