仏像名

じぞうぼさつりゅうぞう

融念寺
制作年代

     重文
平安時代

地蔵菩薩立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

158cm

製作者

安置場所

収蔵庫

開扉期間

解 説

 剃髪して、大衣を偏袒右肩に着し、裳を付ける。左手を屈臂して掌に宝珠を載せ、右手を垂下して大衣の端を持上げ、蓮台上に立つ姿である。
 両腕の大半を含めて、頭頂から蓮肉までをヒノキの一材から彫成し、内刳りを施さない。木心は、首後方にこめる。別矧ぎ箇所は、左手首先及び右手首先のみで、現在は共に後補されている。また蓮肉部は、左右足の前方(右足第一・二指を除く)、右側面裳裾前、背面の一部以外は後補されている。
 全体にすらりとした印象を与える美しい像である。瞼を厚めに作る沈鬱な表情と、右手で衣を持上げる様からは、瞑想状態から十分に抜けきれないままに立ち上り、歩み始めようとしているかのようである。
 衣の端を取る表現は極めて珍しく、お顔は細面で奥行きが深く、鼻筋が通るという異国的なものである。このように本像には、通形の地蔵菩薩とは異なる点が認められることから、僧形で表わされた神像ではないかとする考えがある。ただ僧形神像とするのには、いま一つ確証を欠き、今後の考証に待つ必要があるものの、三室山の神に係わる像であったことは確実で注目される。
 全体を一木から彫りだそうとする構造や、渦文を交えた翻波式衣文を刻み、衣の端を波打たせて質感を表現する点等から考えて、平安時代初期(九世紀中頃)の造像であろう。
「神南融念寺恵宝殿」より

 現在、斑鳩町に所在する融念寺に安置されている像であるが、もとは同寺に近い三室山の中腹に鎮座する神岳神社の神宮寺(神南寺)に伝来した。
 両手を除き、頭部から台座までを針葉樹の一木から彫出し、内刳りは施さない。現在、表面は木地を露出しているが、一部に白土地が残り、当初は彩色像であったことが判る。
 この像はまず、右手で衣をつまむ姿に特色があるが、それによってできる衣文の自然な表現、左手に懸かる衣の立体的な表現など、柔らかな質感が巧みに表わされている。
 また、胸と腹でくびれをつくる肉身の柔軟な表現も見事であり、衣端を波形に表わすことも天平彫刻の余風を感じさせる。眉をやや盛り上げて表わし、薄い唇をきりっと結んだ表情は奈良・秋篠寺の十一面観音像の面相に通じるが、鼻筋がすっと通った顔のつくりにはより異国的な雰囲気を濃厚に漂わせている。
 この像も奈良・法隆寺の地蔵菩薩立像と同様に神宮寺に伝来したことから、本来僧形神像として造立されたとする説が出されている。
 この像の右手で衣をつまむ姿は、明らかに通常の地蔵菩薩には見られない形であり、そこに何らかな意味が込められていることは確かだだろう。神仏習合の中で、地蔵菩薩の姿を取った神の姿として造立された可能性は考慮してよいと思われる。
「仏像 一木にこめられた祈り」展 東京国立博物館 2006年より

私 の 想 い

 そういえば、ここの地蔵菩薩は、あの「官能の十一面観音」さんと、勝手に名付けた法華寺の十一面観音像と同じポーズをしている。
 右手で右膝上脇の裳を親指と中指、薬指の3本でつまみ、人差指と小指は伸ばしたままの形をしている。手の形は影絵の狐の指形である。私は地蔵菩薩を男性だと思っている。このポーズには、違和感があるし、とても珍しい。
 更に、顔は外人風で彫が深く、面長なお顔をされている。そうだ。アテネオリンピック女子体操で活躍した、ロシアの美人ホルキナ選手である。顔はそっくりだ。
「お地蔵さんで、こうして裳をつまんだ姿は珍しいですね。また、お顔も外人風ですね」
と奥様にいうと

「そうらしいです。よくそう言われます」
「奥様はパソコンをされますか」
と早速、売り込みに掛かる。
「私はしませんが、副住職がやります」
という。副住職の若奥様であったのである。ホームページの案内のつづりを渡して、融念寺を後にした。
 2回目に訪問した時には次のように記述している。
毎日天気の事で恐縮しますが、本当に良い天気が続きます。雨を天気と言っても、写真が証明してしまうので、誤魔化しは通用しません。
 二日分のブログ掲載を終了して、今日は融念寺に行こうと思う。ここの地蔵菩薩に悩殺されてしまいました。地蔵菩薩は普通の場合は、少年の姿をする事が多い。ところがここの地蔵菩薩は、女性的である。
 右手は、脇を少し開けてひじを伸ばして、太腿に掛かる衣を、中指と薬指でつまむ。法華寺の十一面観音像のようである。法華寺の十一面観音像ほど、手は長くはないが。と記録した。
 着物を着て走る時に、尻っぱしょいをするが、そこまではせずに、裾を少し上に揚げるために摘んだのである。男性の少年であれば、親指以外の四指で、太腿に掛かる衣をたくし揚げたに違いない。ところが、中指と薬指でつまむところに女性的なものを現している。
 更に表情に至って、決定的に女性を表現していると思う。面長なお顔で、彫が深く異国人的である。私は最初からこの方は、ロシアの女子体操選手のホルキナ選手に似ていると思っていた。彼女が最初にロシアの体操の選手として、出て来た時には、身長の大きい、体の細い選手が出て来たと言うのが、印象であった。
 オリンピック二回出場だが、一回目は早過ぎ、二回目はピークを過ぎてしまった。それだけ女子の体操種目は世代交代が激しい。それに加えて、彼女は大柄である。大柄な選手と小柄な選手と同じ回転をするにしても、力の具合が違うし、スピードも大柄の選手の方が不利に、決まっている。
 歴代のオリンピックチャンピオンは、総じて小柄な選手が占めている。唯一旧ソ連のラチニナ選手が大柄であった。バレーのプリマのような選手と言われた人です。ルーマニアのあのコマネチ選手にしても、ラチニナやホルキナほどには大きくない。オリンピックの名花は小柄な選手が多い。
 ホルキナ選手も、大柄でピークを体操の選手としては過ぎたと言われたが、成熟した女性美を遺憾なく発揮して、総合で銀メダルを取りましたが、種目別では、全滅でした。
 そのホルキナ選手とこの地蔵菩薩をダブらせて拝観させて頂きました。オリンピックは良く頑張りましたとねぎらいを言う。
 平成18年10月に「仏像 一木にこめられた祈り」展として、東京国立博物館で開催され拝観した時には、次のように書いている。
 右腕は肘を刻まず、真直ぐ伸ばしたままにして造られている。気品のある右手は、指先で腰布を摘む。足元の裾からのぞく両足の指は、長い指先をしている。
 右側から観るお顔は、まさにホルキナ選手である。体操の演技が終了した時の、ほっとした瞬間の表情である。そして、裾を摘んでご挨拶をしている。左横から観るお顔はカギ鼻になった鼻が強調されて観える。
 眼の下が少しくぼんで、頬がほんの少しふっくらとして、唇も小さくかわいい。
「ホルキナさん、東京でお逢いしましたね。アテネ五輪の思い出が甦ります。」
と、声をかける。

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