古寺巡礼 トップページへもどる
仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 東京都編

名  称

ふりがな

こんごうじ

金剛寺

俗称又は愛称

高幡不動尊として親しまれている。

東京都日野市高幡733

最寄

京王電鉄
高幡不動駅

開  祖

沿  革

高幡不動尊金剛寺の沿革
 真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古刹関東三不動の一つに挙げられ、高幡不動尊として親しまれている。その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或は、奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100余年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて、山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まる。
 後、建武二年(1335)八月四日夜の大風によって山中の堂宇が倒壊したので、時の僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移し建てたのが現在の不動堂で関東稀に見る古文化財である。続いて建てられた仁王門ともども重要文化財に指定されている。
 足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊崇をあつめ、江戸時代には関東十一壇林に数えられ、大防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめた。
 当時門末三十六ヶ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが、安永八年の業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧房等を一挙に焼失した。
 その後、歴代住持の営々たる努力により徐々に復興に向ったが殊に昭和五十年以降五重塔・大日堂・鐘楼・宝輪閣・大回廊・奥殿等の工事が相継ぎ往時を凌ぐほどの寺観を呈するようになった。 総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は千年ぶりの修復作業が完了し、現在奥殿にご安置されている。
「高幡山金剛寺」縁起より 2009年

私 の 想 

 恥ずかしい話だが、昭和48年から東京に住んで居ながら、高幡不動尊に行ったことがなかった。「仏像観て歩き研究会」を立ち上げて、丸二年を経過する。東京近郊の仏像を拝観する目的で今回は訪問しました。
 高幡不動駅前から右に入ると、参道があり門前町の様相である。寺に着くと護摩修行が始まっていた。本堂にも大きな不動三尊が安置されている。更に両脇の壁には、図像で五大明王を表すために、左回りに軍茶利、降三世、金剛夜叉、大威徳明王の順に掛けてある。ということは、九十度左に廻っている。この不動明王像は南向きから、九十度左に廻って西に向いているのではないでしょうか。そんなことを考えながら拝観する。不動明王の光背はどうなっているか気になる。しかし、迦楼羅らしき鳥は描かれては居ない。
 この本堂の不動明王三尊は、重文の不動三尊を大きく模した像である。それにしても、ついつい余分な事が気になってしまうのが、仏像好きの性なのかも知れない。

金剛寺画像一覧その1
金剛寺画像一覧その2
金剛寺画像一覧その3
金剛寺に戻る
金剛寺所蔵仏像
不動明王坐像
矜羯童子立像 制咤迦童子立像
金剛寺に戻る