仏像名

 じょしんざぞう

教王護国寺
制作年代

国宝
平安時代

女神坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

113cm

製作者

安置場所

宝物館

開扉期間

解 説

 八幡神と二体の女神で一具となる八幡三神のうちの一体である。八幡神は剃髪で袈裟をまとう地蔵菩薩と同じ姿であり、二体の女神は大袖の衣の上に背子という丸首の衣、下半身には裙を着ける。髪は頭頂で結い、背面と胸前に垂らす。本像は胸の高さで、左手は一、三指で蓮華をとり、右手は掌を上に向ける。その手の形がどのような意味があるのかは不明である。
 三神とも細目で唇が小さく、丸顔で茫洋とした雰囲気を漂わせる。八幡神は地蔵菩薩と同じ姿であるが、明らかに仏像とは異なる雰囲気である。茫洋とした表現は、仏ではない神らしさ示すための表現であると考えられる。八幡神は赤味を帯びた薄い肉色であるのは、女性らしさを表現するためである。衣は現状では褐色を呈するが、彩色が比較的よく残っていて造像時の華やかな姿を髣髴させる。袖や背子上縁には繧繝と呼ばれるグラデーションの手法で花文、背子の区内には縁の小円による花文がみえる。繧繝の輪郭線を白色とするが、それは九世紀後半以降の手法であり、本像の造像年代を示す。
 三神像はヒノキ材を用いた一木造りであるが、三体とも木心部分が朽損して空洞になっており、一本の木から三体の用材をとったことがわかる。面部や胸部に当木があるが、それは朽損のためである。何らかの由緒ある木であったはずである。
 寺院に鎮守として神が祀られるのは九世紀以降のことで、空海が帰国後最初の活動拠点とした京都・神護寺の金堂には八幡神の画像が祀られ、寺内には平岡神宮が建てられた。八幡神は東大寺の大仏造像のとき、事業に協力するという託宣をして、聖武太上天皇とともに大仏を参拝するなど仏教と関係の深い神であった。貞観元年(859)に空海の弟子行教が、京都の南西の裏鬼門を守護するために石清水に八幡神を勧請している。本像はその頃に造られたと考えられ、東寺への勧請は、寺とともに平安京の守護も期待してのことであろう。
「空海と密教美術」展より 東京国立博物館 2011年

私 の 想 い

右手は肘を折って、軽く握って右胸前にある。左手は肘を折って、真直ぐ前に出して枝切れを親指と中指で摘み、人差指は枝に添える。薬指と小指は撥ねている。

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