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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 京都編4

名  称

きょうおうごこくじ
教王護国寺

俗称又は愛称

東寺ともいう。

京都市南区九条町1

最寄駅

近鉄京都線
東寺駅

開  祖

沿  革

 東寺は西寺とともに平安京の正面に位置する官寺であった。弘仁十四年(823)に弘法大師空海に勅賜され、空海はここを真言密教の根本道場とした。特に密教の実践理念を具体化するため、講堂に二十一尊の密教像を造立し、寺を教王護国寺と号した。
 現在二十一尊中の十五体は平安時代初期の密教像を代表するものであるが、その他東寺には唐時代をはじめ、平安・鎌倉時代の数多くの仏像を所蔵している。

「講堂・立体曼荼羅」
 堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(蜜厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表する、我が国密教像の秀作です。

「金堂・薬師三尊、十二神将」
 金堂本尊の薬師如来と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の大仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています。

「五重塔」 国宝 江戸時代
 東寺の象徴として広く親しまれている五重の塔は、天長三年(826)、弘法大師の創建着手に始りますが、しばしば災火を受け、焼失すること四回に及んでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)、徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の色彩も落着いて、江戸時代初期の秀作です。

「金堂」 国宝 桃山時代
 金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)、創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)、に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので慶長八年(1603)、に竣工しました。
 天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みに取り入れられています。

「講堂」 重文 室町時代
 東寺の創建時にはなかった講堂は、天長二年(825)、弘法大師によって着工され、承和二年(835)、頃には完成しました。
 その後大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明十八年(1486)、の土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は延徳三年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。

「大師堂」 西院御影堂 国宝 室町時代
 西院は伽藍の西北部にあり、弘法大師の住房で大師の念持仏、国宝・不動明王像(秘仏)一躯が安置され不動堂とも呼ばれていました。
 康暦元年(1379)、焼失しましたが、その翌年には再建され、更に十年後の明徳元年(1390)、には北側に、国宝・大師像を拝するための礼堂と廊を加え、現在の姿となりました。
 堂内には不動明王と大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心となっている御堂です。入母屋造りの礼堂、切妻の中門、ゆるやかな勾配の総檜皮葺の屋根が、その優美さを際立たせています。
「教王護国寺」縁起より

 東寺は桓武天皇が平安京に遷都するとき、都の入口に当たる朱雀大路の南端羅城門の東西に、西寺と並んで造営された寺である。
 伽藍配置は奈良時代の方式に従い、南北中心線に対して、シンメトリーに諸堂を配置する計画で、金堂には奈良後期から流行した七仏薬師像を本尊として安置した。
 しかし、弘仁十四年(823)、になって、まだ造営の途中であった東寺を空海に下賜される事になり、東寺は真言密教の根本道場と変わった。この時寺号も教王護国寺と改められたが、それ以後でも相変わらず東寺と呼ばれて親しまれている。
 空海は初代の東寺長者となり、講堂を真言密教の根本道場に当て、ここに二十一体の尊像を安置する事にした。尊像が完成して開眼供養が行われたのは、空海没後四年の承和六年(839)、であったが、尊像の選定と配置は、もちろん、空海が決定したのである。
 その配置は内陣土壇中央に金剛界大日如来を中心とする五仏、その東に金剛波羅蜜菩薩を中心とする五菩薩、西に不動明王を中心とする五大明王、土壇の東端に梵天、西端に帝釈天、四隅に四天王の各像が並ぶ。かくて、東寺の講堂は真言密教の中心になった。
 しかし、鎌倉時代になると、各宗歩調を揃えて宗派の祖師に対する信仰が盛んになり、東寺でも御影堂に空海像を安置し、祖師空海に対する思慕の念を深めていった。
 東寺の信仰の中心は、金堂の七仏薬師像に始まり、講堂の密教像を経て、今や御影堂の空海像に移る事になったのである。
 現在でもなお、御影堂の空海像に対する信仰は盛んで、毎日早朝、東寺長者がお勤めする時に付近の信者が御影堂にお参りし、毎月二十一日の空海の忌日には、屋台店が広い境内を埋め、終日善男善女の雑踏が続くのである。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

私の想い

 平成16年5月初めに、東京国立博物館で「空海と高野山」という展覧会があり観て来ました。運慶の「八大童子」や仏像に目が向いて夢中で、「空海」については、勉強していなかった。ここに来て、その悔いが出て来た。
 空海さんが遣唐使として、唐で勉強して来た事を実践した場所がこの東寺です。真言密教の極意がここに凝縮されているのだろう。真言密教とか密教曼荼羅とかは、一体何なのかという事が一つでも解決出来ればと思う。
 近鉄京都線で京都駅から一つ目が東寺です。降りた通りが、九条通りである。すでに五重塔が九条通りの先に見える。寺は本来南向きが基本です。入口の南大門を基準にして、金堂、五重塔、講堂等の配置をどうしているかで、法隆寺式伽藍配置とか、薬師寺式伽藍配置とかいう。九条通りにある南大門から入る。入って右手に五重塔があり正面に金堂、次ぎが講堂とオーソドックスでシンプルな伽藍配置である。
 先ずは、密教曼荼羅とは何ぞやの、講堂から拝観する事にする。入替り、立代り修学旅行生が入って来る。寺の説明では、密教曼荼羅は中心に大日如来さんが居り、周りにたくさんの仏様が居る世界です。
 その世界に胎蔵界と金剛界があり、胎蔵界は法界定印という左右の親指と親指を突き合せ他の四本の指を重ねた形の印である。もう一つが金剛界で智拳印という印、右手は人差指を立てて握り、左手で右手のその人差指を五指で包み込んで握る印である。
 密教曼荼羅の仏画の写真を掲げて、説明して、これでは平面的だが、仏像を配置して立体的にしたのが、この講堂の中です。だと。
 この講堂の中身は、舞台に例えて説明すると役割が説明し易い。講堂全体が一つの舞台である。役割を分割した舞台は四つから構成される。
 先ずは中央舞台の如来部である。
如来部の中央に(以下敬称略)、大日如来、東南隅に宝生如来、西南隅に阿弥陀如来、西北隅に不空成就如来、東北隅に阿しゅく(あしゅく)如来のキャストです。
 二つ目に中央舞台の右側の舞台は、菩薩部である。
菩薩部の中央は、金剛波羅蜜多菩薩(唯一人だけ国宝、重文が就いていない。後の補作)、東南隅に金剛宝菩薩、西南隅に金剛法菩薩、西北隅に金剛業菩薩、東北隅に金剛薩埵菩薩がキャストです。 三つ目に中央舞台の左側の明王部である。
明王部の中央は、不動明王、東南隅に降三世明王、西南隅に軍茶利明王、西北隅に大威徳明王、東北隅に金剛夜叉明王のキャストです。
 四つ目は、
この偉い人舞台を盛上げる外縁舞台のキャストに東部縁中央に梵天、西部縁中央に帝釈天がおり、外縁東南隅に持国天、外縁西南隅に増長天、外縁西北隅に広目天、外縁東北隅に多聞天で豪華オールキャストである。
 菩薩部の中央の方だけが国から勲章をもらっておりません。他の方は、国宝か重要文化財の指定を受けております。密教曼荼羅とは、兎も角、豪華キャストである。

 次ぎに金堂です。
講堂と違って、シンプルそのものである。薬師三尊を祀ったお堂である。中央に薬師如来坐像、左右に日光、月光菩薩立像の3体があり、いずれも国宝です。
 国宝館では、兜跋毘沙門天立像やその他の仏像を拝観し、観智院では、五大虚空蔵と茶室を拝見する。

教王護国寺画像一覧その1 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その2 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その3 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その4 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その5 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その6 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その7 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺画像一覧その8 教王護国寺の写真が楽しめます。
教王護国寺花華一覧その1 教王護国寺の花華が楽しめます。
教王護国寺花華一覧その2 教王護国寺の花華が楽しめます。
教王護国寺花華一覧その3 教王護国寺の花華が楽しめます。
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講堂所蔵仏像
大日如来坐像 宝生如来坐像 阿弥陀如来坐像 不空成就如来坐像 阿しゅく如来坐像
金剛波羅密菩薩 金剛宝菩薩坐像 金剛法菩薩坐像 金剛業菩薩坐像 金剛薩た菩薩坐像
不動明王坐像 降三世明王像 軍茶利明王像 大威徳明王像 金剛夜叉明王像
梵天我鳥上蓮華坐像 帝釈天騎象半跏像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像

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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上