仏像名

 ぼんてんがちょうじょうれんげざぞう

教王護国寺
制作年代

国宝
平安時代

梵天鵞鳥上蓮華坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
古色

樹 種

ヒノキ

像 高

100cm

製作者

安置場所

講堂

開扉期間

解 説

密教像のもう一つの特色は、動物に乗ったり、頭が馬や猪になっている尊像が多い事である。この人間と動物との親密な関係も、インドの国民性に源を持っている。
 この梵天像は四面四臂の姿で、四羽の鵞鳥が支える台座に座る。巾の広い豊満な胸や、足を緩やかに組む姿にも、インドの彫像に良く見られる官能的な美しさが表れている。
 この様に東寺講堂の諸尊には、様々な特色が指摘出来るが、四天王像を除けば、インド的な特色を持った仏像という事が出来よう。
 密教は仏教とインド本来の宗教であるヒンドゥ教との交渉によって成立した。従って、密教像にはインドの彫像の特色である官能的、呪術的な面が、顕教像より、はっきり現れて来たのである。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

 東寺・講堂の梵天坐像は4面4臂、つまり顔が4つ、手が4本あり、蓮華上に坐し、4羽の鵞鳥に乗っている。私が奈良でよく見る梵天は1面2臂、つまり人と同じ姿で唐服をまとい、本尊の傍らに立っている。あまりにも違うのが不思議でならなかった。
 講堂を造営したのは弘法大師空海。真言密教の根本道場にしようと唐から持ち帰った図像をもとに五仏、五大明王など密教の尊像21体を造像した。梵天は、立体曼荼羅とされるその群像の東端にある。
 像高101cm。彫りの深い異国風の顔立ちや、左肩から斜めに帯状の衣をまとうだけの豊満な上半身は、官能的なインドの彫刻を連想させる。
 梵天はインドのヒンドゥー教で創造の神とされるブラフマンを仏教が取り入れて、護法神としたもの。インドではブラフマン像4面4臂に造る。インドの神々は特定の動物を乗り物にしていて、ブラフマンの乗り物は白い鵞鳥という。こうしてみると、講堂の梵天はブラフマン本来の特徴を備え、唐服の梵天以上にインド的である。唐服の梵天はいわば中国化した梵天で、密教の梵天はインドと直接つながっているともいえよう。
 密教はインドで興り、8世紀に中国に・唐に伝わった。9世紀初め、遣唐使として入唐した空海は長安(現西安)で中国僧恵果から密教の秘法を授かり、日本に伝えた。講堂の梵天がインド的なのは、もとになった図像がインドの密教を積極的に受容した唐で作られたからだろう。空海は彫刻にする時も、仏師を指導してインド的な雰囲気を出そうと務めたのに違いない。空海はインドにあこがれていたと私は想像する。
 講堂の密教像21体のうち梵天など当初からの15体はヒノキの一木造りで、漆に麦粉や木粉を混ぜて作る乾漆(木屑漆)を併用している。乾漆盛り上げの技法は細部の造形を豊かに表現できる。造像したのは奈良の仏師だったようだ。
 謎めいて見える講堂の密教像だが、そこには当時の国際的に最先端の仏教思想が表され、同時に中国から伝わって奈良時代に花開いた乾漆の技法が使われていた。
「探訪 古き仏たち」より 朝日新聞 2013518

私 の 想 い

東方の段の外側中央に座る。 三面四臂で、五段蓮弁の蓮華座の台を鵞鳥四匹に背負わせた上に乗る。四本の内右手の一本は手の平を開いて、手首を右膝に置いている。他の三本は蓮華の蕾、筆、仏具を持っている。
 右足の裏をベロリと蓮華座の前面に出している。神妙な面持ちとは不釣合いだ。しかし、右手の第一手を開いて手の内を見せる、足も見せる。

梵天鵞鳥上蓮華坐像画像一覧その1
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梵天鵞鳥上蓮華坐像
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講堂所蔵仏像
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金剛波羅密菩薩 金剛宝菩薩坐像 金剛法菩薩坐像 金剛業菩薩坐像 金剛薩た菩薩坐像
不動明王坐像 降三世明王像 軍茶利明王像 大威徳明王像 金剛夜叉明王像
梵天我鳥上蓮華坐像 帝釈天騎象半跏像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
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