仏像名

ふりがな  ごくてんりゅうぞう

教王護国寺
制作年代

国宝
平安時代

持国天立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造、切金文様
彩色

樹 種

像 高

183cm

製作者

安置場所

講堂

開扉期間

解 説

四天王は聖徳太子が四天王寺を、建立した事でも判る様に、仏教伝来直後から、国家を鎮護する仏として厚く信仰された。従って、東寺講堂の四天王像も、純粋な密教像ではなく、各宗共通の仏像といえる。
 空海は講堂の諸尊を選ぶにあたり、金剛頂経を典拠として、そこに説かれている金剛界曼荼羅を、群像彫刻で表わそうとしたと思われるが、金剛頂経には、五大明王が揃っていないので、これだけでは十分な解釈にならない。そこで金剛頂経の説に仁王像の説が加えられて、この様な諸尊の組み合せが出来たのだろうと想像されている。
 四天王はもちろん金剛界曼荼羅にも説かれているが、仁王経に説かれている四天王は、鎮護国家の功徳を持っているので、空海が単に密教寺院としてではなく、護国の寺でもあろうとする、願いを込めて、教王護国寺と寺号を改めた、趣旨に合うのではないかと思われる。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

私 の 想

 東方の段の右端前、つまり、全体の東南隅に立ち守護する。右手は短い槍を持って、肘を後に振上げて、投付けようとしている。
 左手は肘を伸ばして剣を左腰に構えて、剣先を斜め横に立てる。二つの邪鬼を踏まえる。一つは立て膝に座る、右足を立膝に、左足を半跏に組む。
 右手を半跏に組んだ左足の足先に突いて踏ん張る。左手は左足の膝に左肘を着けて頬杖をしている。左頬は頬杖の左手で右頬は持国天の右足に踏まれる。
 もう1つは、両手を突張って、文字通り面目を持国天の左足で踏み潰される。

持国天立像画像一覧その1
持国天立像画像一覧その2
持国天立像
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