仏像名

ふりがな だいいとくみょうおうきぎゅうぞう

教王護国寺
制作年代

国宝
平安時代

大威徳明王騎牛像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

100cm

製作者

安置場所

講堂

開扉期間

解 説

 密教とは、インド教の要素を多分に取り入れた仏教の一系統で、尊像もまた奇怪な非人間的なインド教の諸尊を含んでいる。我が国へは、天平時代に一部入って来ているが、空海が中国で、恵果から密教の伝授を受け、修法に必要な曼荼羅や図像や経典を持ち帰ってから、大いに流行を見た。
 密教像として最も早いものは、816年に空海により建立された高野山金剛峰寺の七仏があるが、この諸像は、昭和初年の火災に焼失してしまった。今日残るものとしては、東寺講堂の諸尊像や、御影堂の不動明王像などが最も古い。東寺は、都城鎮護のために桓武帝により創められた寺であるが、弘仁十四年(823)、嵯峨天皇は、この寺の経営を空海に任せた。空海はここを真言の道場として経営する事に決し、他宗の僧の住まう事を禁じた。
 この寺の講堂は、空海歿後、その遺志を引き継ぎ、弟子の代になって完成したものであるが、仏壇の中央には五如来、東に五菩薩、西に五大明王像を安置し、仏壇の両側には異形の梵天・帝釈天が安置されている。これはまさしく、曼荼羅の立体的表現で、諸尊も天平時代には見られぬ、多面多臂の像や憤怒相の像が多い。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想 い

 西方の段の西北隅に立つ明王である。三面三目六臂六足の手も足も出る仏像である。二本の手は胸で印を組む。両中指を立てて、手を組む印で名前は知らない。
 牛に乗るが、下の牛が行儀良くて、足を畳んで正座している。主人に従順な牛である。 子供の頃は家で牛を飼っていたが、牛が正座をしていた姿を見た事がない。だらしなく横に投げ出して寝ていたような気がする。

大威徳明王騎牛像画像一覧その1
大威徳明王騎牛像画像一覧その2
大威徳明王騎牛像
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講堂所蔵仏像
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持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
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