仏像名

ふりがな やくしにょらいざぞう

覚園寺
制作年代

重文
鎌倉時代

薬師如来坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、古色、
玉眼

樹 種

像 高

181cm

製作者

安置場所

薬師堂

開扉期間

解 説

 覚園寺は、建保六年(1218)に運慶作の薬師如来像を本尊として、北条義時が建てた大倉薬師堂を前身とする。同堂は北条氏が鎌倉で初めて建てた鎌倉での氏寺的寺院で、それゆえ歴代の執権が関わってきた。
 現薬師如来像は、諸説あるが、建長三年(1251)に焼亡した堂を、北条時頼が弘長三年(1263)に復興した時に造立した像と考えられる。粒の大きな螺髪や異国的な顔立ちなど、宋代美術を色濃く取り入れた先駆的な作である。
 なお、両脇侍像は応永二十九年(1422)、朝祐による作である。
「日本の仏像 高徳院鎌倉大仏と鎌倉の古仏」より 講談社 2007年

私 の 想

 両手を中央で定印を結び、その上に薬壷を載せる。両脇に日光、月光菩薩を従えて、その脇侍は薬師本尊を挟んで左右対称の姿をしている。
 定印の薬師さんは余り見掛けない。薬壷が無ければ、釈迦如来にして仕舞いそうである。
 平成21年12月に第二十四回「仏像観て歩き」で訪問しました。その時には、次のように書いています。
 組上げた坐禅の上に、両手の平を広げ親指を突き合わせて重ねる。この印相を法界定印という印相で、釈迦如来像や大日如来像でよく見かける。
 重ねた手の平の上にこの像は、薬壷がなければ釈迦如来像にされ兼ねない。辛うじて、脇侍が菩薩像であるものの、文殊菩薩や普賢菩薩でないようなので助かる。
 しかし、脇時が薬王菩薩、薬上菩薩であったら、完全に釈迦如来像にされてしまう。これほど、微妙なところが在るという点を見逃さないようにしたいものと思います。
 私には日光、月光菩薩と薬王、薬上菩薩を区別する決定的なものを知りません。日光、月光菩薩は蓮華の蕾を持つことが多い位である。

薬師如来坐像画像一覧
薬師如来坐像
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日光菩薩と月光菩薩の比較表