仏像名 |
あみだにょらいざぞう |
三千院 制作年代 |
重文 平安時代 |
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阿弥陀如来坐像 |
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様 式 |
久安四年(1148) |
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俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造 漆箔 |
樹 種 |
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像 高 |
233cm |
製作者 |
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安置場所 |
往生極楽院 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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天台宗の名刹として、名高い大原の三千院の境内に、往生極楽院と呼ばれる阿弥陀堂がある。この堂は永治二年(1142)、に死去した高松中納言実衡の冥福を祈るため、その後家の尼真如房が建てた持仏堂の様な小堂である。 ここに安置されている阿弥陀三尊像は、久安四年(1148)、の作で、中尊の阿弥陀如来像は、この堂には少し大き過ぎる丈六の巨像である。 しかし、この堂で毎日一心に念仏を唱えていた敬虔な尼公には、その祈りの最高潮に達した瞬間に、金色まばゆい丈六阿弥陀三尊が突如として来迎した驚きと感動とが、夢うつつの間に感じられた事であろう。 この大原の地は、平安時代に良忍が出て、一人の唱える念仏は他の人に通じ、互いに融通し合って、全ての人が往生出来るという融通念仏を唱えて以来、天台浄土教の栄えたところであった。 往生極楽院は、その当寺の面影を伝える唯一の遺構である。 「京都の仏像」 淡交社 1968年より 藤原末期から鎌倉時代にかけて、浄土教思想の発達につれて、浄土から阿弥陀如来が往生者を迎える来迎形式の像が盛んに作られるようになった。 この三尊も、阿弥陀如来は来迎の印を結び、観音は蓮台を持ち、勢至は合掌、伏目に膝を折って正座する。この脇侍の姿や、形式化した衣文の扱い方は、勢至菩薩の久安四年 (1148)という年記銘の適当である事を示す。 「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より |
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私
の 想 い |
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阿弥陀堂に入るとすでに住職の説明が始まっていた。上品下生の半丈六の阿弥陀坐像である。観音、勢至を従えて、裳掛けの須弥壇に座る。光背に十三体の仏が透かし彫りされた火炎光背である。半眼に開いた眼で見ている。 阿弥陀堂は極楽浄土の現世を写す世界であるというに相応しく、いろいろ工夫を凝らしている。 ここの阿弥陀池は正面ではなく、斜め前にある。それも小さい。しかし、その代わりに庭が事の他美しい。庭に出て廊下の欄干越しに観る阿弥陀三尊もまた好い。美しい庭に阿弥陀さんが似合う。 |
阿弥陀如来坐像画像一覧その1 |
阿弥陀如来坐像画像一覧その2 |
阿弥陀如来坐像 |
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三千院画像一覧その1 | 三千院の写真が楽しめます。 |
三千院画像一覧その2 | 三千院の写真が楽しめます。 |
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