仏像名

ふりがな じぞうぼさつりゅうぞう

橘寺
制作年代

重文
平安時代

地蔵菩薩立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

152cm

製作者

安置場所

収蔵庫

開扉期間

解 説

私 の 想 い

 右手は脇を締めて、肘を伸ばして、太腿辺りで錫杖を外側から握って持つ。右の指も太くてごつい。
 左手は脇を締めて、肘を後ろに引いて、前に出し宝珠を手の平に乗せている。この指も太くてごつい。
 衣の襞や衣文線の細やかさ比べ、指先の荒々しさ等からして、後補だろうと思う。突如袖口から手が出て来た感じである。
 手のごつさからは想像出来ないようなやさしいお地蔵さんである。首の短いやさしい少年のお顔である。右手の肩から手首に架けての衣に刻まれた衣文線に特徴がある。
 平成22年年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」で訪問した時には、次のように書いている。
 地蔵菩薩像が仏像として登場するのが平安時代になってからである。それ以後、急速に人々の信仰を集めて像の数も増えて来る。初期の像は、唯一国宝になっている法隆寺金堂像のように、下半身が太く大きく造られている。
 法輪寺像、観心寺像、秋篠寺像、広隆寺像、身近に日羅立像などいずれも下半身が充実した共通点がある。そして、もう一つは、未だ田相衣を着けていないことのように思います。地蔵菩薩像として何処の寺の地蔵菩薩像から着けるようになったのかは知らない。しかし、平安時代からであることは確かである。
 勝手に固持付けた見方で言うなら、
下半身がスマートになり出す浄瑠璃寺像、唐招提寺像、六波羅蜜寺像、薬師寺像(大阪市立美術館寄託)、遠くは福島・勝常寺像などからである。下半身の太さと田相衣を関連付けるのは無茶なことだが、こうして並べると満更無茶なことでもないような気がする。
 これ以後の鎌倉時代の田相衣は、切金文様を着けたりして、立派なものに変化して行く。その例が東大寺の快慶作の像で極まると云っていい。

地蔵菩薩立像画像一覧
地蔵菩薩立像
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地蔵菩薩の考察