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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 神奈川編

名  称

ふりがな

じょうらくじ

浄楽寺

俗称又は愛称

神奈川県横須賀市芦名2−30−5

最寄駅

JR横須賀線
逗子駅

開  祖

沿  革

 昭和34年(1959)浄楽寺の本堂に安置されていた毘沙門天像の胎内から、文治五年(1189)に大仏師・運慶が小仏師10人を率いて造ったことを伝える銘札が発見された。これをきっかけとして、同じ形式の銘文を持つ願成就院諸像が運慶作と認定され、さらにそれまでの研究史が書き換えられている。浄楽寺像の銘札の発見は、いわば、その後の新たな運慶研究のスタートとなったのである。
 浄楽寺の像は、願成就院の造像の3年後に造られた。着衣や肉体表現は幾分控えめになったが、安定感があり、ともにこの頃の運慶の典型的作例。特に浄楽寺の阿弥陀三尊像は運慶の如来・菩薩像の中でも保存状態が極めてよい。
 太めの造りだが非常に強く引き締まった肉体表現と、張りのある頬と顎、はっきりと刻まれた眉と目、きりりと締まった唇など男性的な表情をみせ、この時期の運慶の作風を語るうえでの基準的な作品である。
 また、阿弥陀三尊に不動明王と毘沙門天を加える尊像構成は、願成就院の開創当初の構成と同じで、大きさもほぼ共通する。
「日本の仏像 願成就院と浄楽寺運慶仏めぐり」より 講談社 2008年

私 の 想 い

 昭和48年の正月からに東京に住むことになり、その年の春の暑い日であった。資料で調べて、電車とバスを乗り継いで行ったような気がする。
 しかし、それ以外何も覚えていない。仏像の事も覚えていない。それなのに、バスを降りて、一人バス停に残された孤独感だけが、今も思い出される。次に訪問した時には、その時の思いが少しでもあるかどうかを確かめたい。
 平成20年7月に東京国立博物館で「六波羅密寺展」がありました。運慶作の地蔵菩薩坐像と息子の湛慶作の伝運慶坐像や自刻の伝湛慶坐像を拝観しました。
 それ以来、東国の運慶作を拝観したいものと思っていました。「仏像観て歩き研究会」の仲間と拝観することとなる。浄楽寺は、雨天の日には拝観できないと聞いている。
 当日は、曇り空であり心配になり、訪問の直前に電話で確認する。午後二時の予定を午前九時半でも可能かどうかも確認する。「横横道」で向かう。早朝だったのでスムーズに進み、少し早めに着く。
 寺の周りの状況をカメラに納める。雲は切れ切れになってはいるが、時々雨粒が落ちて来る。ご住職の自宅のインターフォンを押して、拝観のお願いをする。
 先程、電話で確認した若奥様が出て来られた。片手に収蔵庫の鍵を握られている。これで拝観出来ると確信する。天は見捨てないで、我慢をしてくれたのである。

浄楽寺画像一覧その1
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